坂東玉三郎 (5代目)
日本の歌舞伎役者、映画監督
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人物

時代物から新歌舞伎まであらゆる分野の女形の技法に精通し、特に世話物や舞踊作品で定評がある。
若くしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダ、ダニエル・シュミット、ヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開するなど、その影響と賞賛は世界的なものである。また、映画監督・演出家としても独自の映像美を創造した。
その他にも、演劇全般に関する私塾「東京コンセルヴァトリー」の開校や熊本県の八千代座保存への協力など、演劇以外にも活躍している。また歌舞伎だけでなく、10代半ばよりレッスンを受けたバレエの実力も、プロ・バレリーナと一緒に踊りをこなしても何の遜色もないどころか、玉三郎自身が一バレエダンサーとしての評価にあずかるほどのものがある。
近年は歌舞伎と縁の薄い邦楽の演出も手がけている。趣味はダイビング。
五代目玉三郎は、梨園の出でないばかりか、小児麻痺の後遺症をリハビリで克服したこと[5]、その影響で左利きとなったこと、女形としては長身であること(公称173cm、過去に某雑誌では175cmとも)など、数々の苦難を克服しつつ精進を続けて今日の地位を築きあげた、現在の歌舞伎界における希有の存在である。相手役との釣り合いを取るため、膝を折る、寄り添った時には体を相手に預けるように傾けるなどの工夫で背を小さく見せたという、
年齢・体力的な理由から2019年を最後に地方での短期公演から「引退」しており[7]、近年は自身のつとめてきた大役を若手に継承している[8]。
一方、2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』に正親町天皇役でテレビドラマ初出演をした[9]。この出演の理由について玉三郎は「(主演の)長谷川博己君の父(建築史家の長谷川堯)と昔からの知己で、博己君から大河ドラマの主演を報告されたので『じゃ、ワンシーンだけでも出た方がいいかも』みたいな話をしたら、このような形になった」と語っている[10]。
年譜
- 楡原誠治、喜美江夫妻の初めての子として東京都で生まれる。夫妻は東京・大塚で料亭を経営。「伸び伸び育つように」伸一と名付けられる。両親は子連れ同士の再婚で、年の離れた兄が4人いた。1歳半で小児麻痺にかかり右足アキレス腱に麻痺が残る。
- 1956年 小児麻痺後遺症のリハビリにと日本舞踊を習う。舞踊の魅力にとりつかれ、また稽古に通った縁から十四代目守田勘弥の部屋子となる(6歳の6月6日)。
- 1957年12月 東横ホールにて『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の子役・小太郎で坂東 喜の字を名のり初舞台。
- 1964年6月 十四代目勘弥の芸養子(戸籍上は1974年に養子縁組)となり、歌舞伎座にて『心中刃は氷の朔日』のおたまほかで五代目坂東玉三郎を襲名[5]。当時、変声期でそのために苦労したという。
- 1969年3月 聖学院高等学校卒業。
- 1969年 三島由紀夫の国立劇場での新作歌舞伎『椿説弓張月』の白縫姫に抜擢。
- 1970年 『鳴神』の雲絶間姫で相方した十代目市川海老蔵との「海老玉コンビ」が人気に。
- 1975年 『桜姫東文章』の桜姫で相方した片岡孝夫との「孝玉コンビ」が人気に。
- 1977年 日生劇場で「天守物語」(原作:泉鏡花)を上演。1979年には京都南座で上演。相手役は五代目坂東八十助。
- 1984年5月 メトロポリタン歌劇場100周年記念公演に招聘され出演。
- 1986年 舞台『ロミオとジュリエット』を初演出。
- 1988年 ヨーヨー・マらの演奏によるラヴェル『ピアノ三重奏曲』で創作舞踊を上演。
- 1988年11月 モーリス・ベジャールの振付けにより、パトリック・デュポン、ジョルジュ・ドンらと共演。
- 1991年 映画『外科室』を初監督。
- 1994年5月 ベジャールとの共演で『リヤ王〜コーデリヤの死』を初演。
- 1996年 ヨーヨー・マの演奏によるバッハ『無伴奏チェロ組曲』を映像収録した『希望への苦闘』がダンススクリーン96(リヨン)でグランプリを受賞。
- 2000年 横浜21世紀座芸術監督に就任(2001年辞任)。
- 2008年 崑劇『牡丹亭』を、北京湖広会館で江蘇省蘇州崑劇院と共に上演。
- 2012年4月 和太鼓集団鼓童芸術監督就任。
- 2012年 重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝)。
- 2020年 NHK大河ドラマ『麒麟がくる』でテレビドラマ初出演。
受賞歴
- 1970年 - 芸術選奨新人賞
- 1971年 - 第8回ゴールデン・アロー賞演劇賞
- 1978年 - 第15回ゴールデン・アロー賞演劇賞
- 1981年 - 第2回松尾芸能賞優秀賞
- 1985年 - 第3回都民文化栄誉章
- 1991年
- フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章
- 中国文化大学名誉文学博士号
- 1992年 - 泉鏡花文学賞特別賞
- 1997年
- 第6回モンブラン国際文化賞
- 第39回毎日芸術賞
- 第5回読売演劇大賞最優秀男優賞
- 2009年 - 第57回菊池寛賞
- 2011年 - 第27回京都賞思想・芸術部門
- 2013年 - フランス芸術文化勲章コマンドゥール章
- 2014年 - 紫綬褒章[11]
- 2016年 - 日本芸術院賞・恩賜賞
- 2018年 - 第39回松尾芸能賞大賞
- 2019年
- 2025年 - 第22回タニタ健康大賞[15]
代表作
主な歌舞伎の当たり役
歌舞伎海外公演
近代劇
- さぶ - おすえ(1975年、帝国劇場)
- マクベス - マクベス夫人(1976年、日生劇場、南座、中日劇場)
- オセロー - デズデモーナ(1977年、新橋演舞場、1978年、中日劇場)
- 天守物語 - 富姫(1977年、日生劇場)
- 日本橋 - お孝(1978年、日生劇場)
- 鹿鳴館 - 大徳寺夫人 (1980年4月中日劇場)
- 椿姫 - マルグリット(1979年、日生劇場、1980年7月、中日劇場)
- メディア - メディア(1983年、日生劇場)
- 蒼き狼 - 忽蘭(1983年、新橋演舞場)
- サド侯爵夫人 - ルネ(1983年、サンシャイン劇場)
- 黒蜥蜴 - 緑川夫人(1984年、新橋演舞場、1986年、中日劇場)
- 無法松の一生 - 吉岡良子(1985年、新橋演舞場)
- 玄宗と楊貴妃 - 楊貴妃(1987年、新橋演舞場)
- ふるあめりかに袖はぬらさじ - お園(1988年、中日劇場)
- ナスターシャ -ナスターシャ、ムイシュキン(1989年、ベニサン・ビット)
- 華岡青洲の妻 - 加恵(1990年、新橋演舞場)
- サド侯爵夫人 - サン・フォン伯爵夫人(1990年、ベニサン・ビット)
- エリザベス - エリザベス一世(1993年、1995年 銀座セゾン劇場)
- 夕鶴 -つう(1999年)
- 海神別荘 - 美女(2000年、日生劇場)
- 牡丹亭(崑劇) - 杜麗娘(2008年、南座および北京・湖広会館)
主な舞台演出作
映画
テレビドラマ
映画監督作品
テレビ番組
- 徹子の部屋(テレビ朝日)
- プロフェッショナル 仕事の流儀(NHK総合、2008年)
- スタジオパークからこんにちは(NHK総合、2008年)
- ザ☆スター(NHK BS2・BShi、2010年)
- ガルボの恋文〜坂東玉三郎ストックホルム幻想〜(NHK BSプレミアム、2011年)
- その時、私は(BSフジ、2011年)
- 情熱大陸(毎日放送制作・TBS系列、2012年)
- BSフジLIVE プライムニュース(BSフジ、2019年11月21日)
- 密着!中村屋ファミリー 〜勘九郎の涙 七之助の宿命 姫路城で歴史が動いた!46年ぶりの衝撃SP〜(フジテレビ系列、初回:2023年12月22日・再放送:2024年1月5日[注 1])
- マツコの知らない世界 〜歌舞伎女方の世界〜 (TBS、2026年1月3日)
CM
写真集ほか
- 『写真集 女形 玉三郎』篠山紀信撮影、講談社、1972
- 『真夜中のノート 坂東玉三郎エッセイ集』サンリオ、1976
- 『玉三郎の邦楽ジョッキー』日本放送出版協会、1977
- 『坂東玉三郎』篠山紀信写真 講談社、1978
- 『坂東玉三郎 ひかりの中で』奥村喜一郎・谷田貝高幸写真 松竹株式会社・事業部、1979
- 『坂東玉三郎 冬の旅 ヨーロッパの古都を歩いて』篠山紀信写真 講談社、1981
- 『坂東玉三郎 onnagata』大倉舜二 平凡社、1983
- 『桜姫東文章 孝夫・玉三郎』佐藤英世写真、旺文社文庫、1985
- 『坂東玉三郎の世界』篠山紀信写真 朝日新聞社、1988
- 『監督坂東玉三郎「夢の女」』岸野正彦写真 NTT出版、1993
- 『山鹿八千代座 坂東玉三郎華麗に舞う』NTT出版、1993
- 『坂東玉三郎ナスターシャ写真集』ぴあ、1994
- 『坂東玉三郎の宇宙』ダンスマガジン編 新書館、1997
- 『坂東玉三郎 舞台写真集』福田尚武写真 朝日ソノラマ、1998
- 『ザ歌舞伎座』篠山紀信撮影、玉三郎案内役 講談社、2001、改訂版2009
- 『五代目 坂東玉三郎写真集』篠山紀信 講談社、2007
- 『THE LAST SHOW TAMASABURO AND THE KABUKIZA』篠山紀信撮影、玉三郎案内役 小学館、2010
- 『坂東玉三郎 すべては舞台の美のために』小学館・和樂ムック、2009
- 『坂東玉三郎舞台』福田尚武写真 小学館、2012