美浜発電所
福井県にある原子力発電所
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施設概要
沿革
関西電力は、原子力発電所の設置を広大な敷地が確保できる点や自然災害が少ないなど、候補地を日本海側は能登半島から丹後半島、太平洋側は紀伊半島を選定していた[3]。その中で、関西電力は1961年10月、敦賀半島の敦賀市浦底地区と美浜町丹生地区の2か所を調査地点に選定した。翌年の1962年11月に、調査対象地点の1つである丹生地区で発電所の開発が進められることになった[注釈 2][4]。
発電設備
過去の主なトラブル
- 1972年6月15日
- 美浜1号機において蒸気発生器の水漏れで運転停止[22]。同年8月11日には、2号機が主変圧器の故障で発電停止となった。2号機は同年8月28日に応急復旧運転を再開し、同年12月9日には1号機も蒸気発生器細管111本に盲栓をした上で運転を再開した[23]。
- 1973年3月(日付不明)
- 美浜1号機において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。
- 1991年2月9日
- 2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動する事故が発生した。この事故は日本の原子力発電所において初めてECCSが実際に作動したものである。
- 事故の原因は、伝熱管の振動を抑制する金具が設計通りに挿入されておらず、そのため伝熱管に異常な振動が発生し、高サイクル疲労(金属疲労)により破断に至ったものと判明した。この金具は点検対象とされていなかったことも一因とされる[24]。
- この事故により微量の放射性物質が外部に漏れたが、周辺環境への影響はなかったと発表されている。また、美浜沖の海水から、通常なら数Bq/Lより少ないトリチウムが、2月10日に470Bq/L、2月18日にも490Bq/L検出された[25]。
- 国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル2と判定された。
- 事故後、定期検査も重なり、約3年6か月間運転が停止されていた[14]。
- 1992年7月30日
- 1号機が蒸気発生器伝熱管漏洩により約4か月間運転が停止された[26]。
- 2000年4月7日
- 運転中に一次冷却水のホウ酸水が漏洩し、原子炉を手動停止した[27]。
- 2003年5月17日
- 2号機の高圧給水加熱器の伝熱管に2か所の穴が開いた。放射性物質の外部への漏れはない。
- 2004年8月9日
- 3号機二次冷却系の復水系配管が通常運転中に破裂する事故が発生した。(後述)
2004年蒸気噴出事故
事故
2004年8月9日午後3時半頃、通常運転中の3号機二次冷却系の復水系配管が第4低圧給水加熱器と脱気器との途中で突然破裂し[注釈 3]、高温高圧の二次系冷却水が大量に漏れ出して高温の蒸気となって周囲に広がった。事故当時、現場のタービン建屋内では、定期点検の準備のため、211人が作業をしており、問題の配管室内には11名の作業員がいた。事故直後に死亡した4名の死因は全身やけど(熱傷)およびショックによる心肺停止で、ほぼ即死に近い状態だったとされる。また、事故から17日目の8月25日には、全身やけどを負っていた作業員1名が死亡したため、最終的には死亡5名・重軽傷6名となった。
美浜発電所の加圧水型原子炉は、放射性物質を一次冷却系内に留めるよう設計されているため、この事故での汚染や被曝者はいない。
原因
炭素鋼製の直径55cm、肉厚10mmの配管の内面が腐食などによって減肉し、事故当時は肉厚1.4mmにまで減肉していた。150℃10気圧という運転圧力と流体振動に耐えられずにこの部分の上側を起点に大きく破裂したと考えられる。
破裂箇所の上流側には圧力差から流量を計測するためのオリフィスと呼ばれる狭窄部が設けられており、ここで生じた渦によるキャビテーションが徐々に配管内面を削り、運転開始から28年の後に遂に強度的に耐えられなくなったと考えられている。
本来は肉厚4.7mmまで減肉してしまう前に予防措置をとるという内部規則があり、1989年には配管を検査し1991年には取り替えることになっていたにもかかわらず、関西電力と検査会社(三菱重工業と日本アーム)の見落としで点検台帳に登録されておらず、この個所は稼動以来の27年間一度も点検さえ行われていなかった[28]。当時の二次冷却系の冷却水は水質に問題があり、さびに弱い安価な炭素鋼製の鋼管に、オリフィスによるエロージョン・コロージョンが生じた[29]ということで原因の説明はついたが、他の多くの原子炉もまた同様の環境下にあって、確かに本事故後の検査では同種の減肉がいくつも発見されたが、美浜原発3号機の減肉は特に大きく、それらの違いの原因は明確ではない[30]。冷却系配管の減肉自体は原子力発電所固有のものではなく、火力など他の冷却水配管を用いるプラントでも、管理が不十分であれば同様の事故が起こりうる。
事後処理
運転中の原子力発電所における死亡事故としては国内初、原子力関連施設での死者としては東海村JCO臨界事故以来7人目であり、関西電力の危機管理能力が問われた。
この事故は原子力施設における労働災害として極めて重大であり、国内の原発事故史上初の「重大災害対策本部」が設置される事態となった。その後、原子力安全・保安院、厚生労働省福井労働局、警察当局が原因究明や関西電力の安全管理体制と責任について調査している。放射線被曝による死亡事故ではないため、国際原子力事象評価尺度での事故評価は「0+」となったが、後に安全管理不適切として「1」に変更された。原子力安全・保安院によって全国すべての原子力発電所、火力発電所についても調査し、不備があるところは指導をすることになった。
