東京都品川の生まれ、子供のころから浪曲などの演芸に親しむ。素人参加のラジオのコンクールなどで注目を浴び、1965年4月に松竹系の神戸松竹座で椿みちよの名で初舞台。その後、1969年より吉本興業に所属し、翠みち代の名で吉本の劇場に出た。デビュー当時女性の声帯・形態模写の芸人が少ないこともあって重宝された。1975年に島田洋之介・今喜多代に弟子入りし、漫談家の道を進んだ。足を悪くしたため舞台の数が減り、2014年頃から介護施設に入っていたが、2018年1月、末期がんとの診断を受け、翌2月11日、肺がんのため死去[1]。82歳没。