泉ピン子

日本の女優・歌謡漫談家 From Wikipedia, the free encyclopedia

泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年昭和22年〉9月11日 - )は、日本女優コメディアン漫談家歌手タレント東京都中央区日本橋生まれ[1]

本名 武本 小夜(たけもと さよ、旧姓:江口)
生年月日 (1947-09-11) 1947年9月11日(78歳)
身長 154 cm
概要 いずみ ピンこ 泉 ピン子, 本名 ...
いずみ ピンこ
泉 ピン子
泉 ピン子
2019年12月13日、旭日小綬章伝達式にて
本名 武本 小夜(たけもと さよ、旧姓:江口)
生年月日 (1947-09-11) 1947年9月11日(78歳)
出生地 日本の旗 日本東京都中央区日本橋[1]
身長 154 cm
血液型 B型
職業 女優
活動期間 1966年 -
配偶者 既婚
主な作品
テレビドラマ
渡る世間は鬼ばかり
おしん
手ごろな女
花咲け花子』シリーズ
女が見ていた
腕まくり看護婦物語』シリーズ
男はいらない
和服デザイナー探偵』シリーズ
自治会長 糸井緋芽子 社宅の事件簿』シリーズ
ちょっと待って、神様
名司会者・寿鶴子 殺人スピーチ』シリーズ
伝説の秋田犬 ハチ
港町人情ナース』シリーズ
受賞
第26回菊田一夫演劇賞
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親族

  • 夫は消化器内科医の武本憲重。
  • 父は浪曲師の廣澤龍造(江口鉱三郎)。
  • 継母は浪曲師の三門お染。母の従兄弟は河上五郎(振付師)[2]
  • 叔母(広沢竜造の実妹)は声帯・形態模写・漫談家の翠みち代。義理のおじ(みち代の夫)は落語家の4代目桂福團治。従弟(福團治とみち代の長男)は落語家の桂福若

来歴

東京都品川区立第二日野小学校[3]品川区立日野中学校卒業[4]日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするがキャバレー巡りを続ける。1975年に日本テレビテレビ三面記事 ウィークエンダー』で出演者に欠員が生じた際に話しぶりの面白さでリポーターに起用され、芸名を泉ピン子へ改名する[5]。この番組で初めてのレポートは性行為[4]、以後もゲイバーストリップなど担当記事が猥雑で新日本婦人の会が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれた[6]

本業は歌謡漫談師だが[1]、『ウィークエンダー』の熱艶が買われ[1]、1975年に東映からオファーを受け『神戸国際ギャング』に出演し、女優業に進出した[1]。同じ1975年にTBSの演出家・鴨下信一に「美人でなく、知的でもなく、金もない“3ナイ女優”を探していた」とのことからドラマに誘われ[6]、鴨下演出のテレビドラマ花吹雪はしご一家』に出演。女優業に本格的に乗り出し、1980年に『手ごろな女』(日本テレビ)でドラマ初主演。歌手としても1977年6月5日(日曜日)に「哀恋蝶」が発売。10.9万枚(オリコンチャート最高位37位)のヒットを記録した。

NHK紅白歌合戦』へ出場を狙ったが落選した。以後、紅白に対して「歌手としての意地がある」と何度も応援出演依頼を断り、紅白出演歴は長らくなかった[7]。NHK連続テレビ小説マッサン』が放送される2014年に紅白へ出演希望を発言し[8]、初出演した。

1983年4月 - 1984年3月放送のNHK連続テレビ小説『おしん』の母親役で女優として評価を得る。加えて同作の脚本を書いた橋田壽賀子にも高く評価され、以降は橋田作品に数多く出演する。

1990年に『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が放送開始。以後30年近くもの間シリーズ化され、泉の代表作の一つとなる。長い台詞にも動じない安定した演技で、以後橋田ファミリーの旗頭的な存在である(後述「橋田ファミリー関連」参照)。

2019年に、文化庁長官表彰[9]と、旭日小綬章受章[10][11]

人物

歌謡漫談家時代
歌謡漫談家を目指したきっかけは、当時の事務所の社長から「普段が面白いから、漫談やったらどうか」と提案されたからだという[12]
歌謡漫談家のネタの中にコント55号が作成したものもある。ある日、街角でキャバレーの呼び込みに「うちで働かない?」と声をかけられたが、「はばかりながら、こっちはもっといい商売やってんだよ!」と一蹴した。キャバレーの呼び込みは、「いけね。トルコ嬢に声かけちまった」と言った[13]
芸名について
「泉ピン子」の芸名は芸能人であることをずっと反対した父親が「芸人にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの芸人になれ」と、泉に話したことから。本人によると、他の理由として「顔が丸くて麻雀牌のイーピンみたいだから」「泉の部分は『過去に泉という名前で売れた芸能人がいないので、お前で試す』と言われた」とのことで牧伸二に名付けられたとも語っている[14]。これ以前に駈け出しの前座歌手時代に泉 小百合(いずみ さゆり)の芸名を名乗っていたことがあり、『泉』を芸名にしていたのはこの時が初めてである[15]
元芸人として
元来は(コメディエンヌ)で、歌謡漫談家時代を基にした本人主演の自伝的ドラマ「おんなは一生懸命」が制作されたこともあったが、一時期『ウィークエンダー』に出演した過去をなかった事にして自身を「女優」と公言する姿にレギュラーとして共演した桂ざこばなどから「生意気だ」と批判された。泉とざこばは不仲で関係が修復せず、彼女のドラマ以外の発言では否定的である[16][17]。一方では、元々漫談家としてデビューした当時の先輩芸人とのエピソードを嬉々として語る[18]など、後に自身がお笑い出身であることを全く隠さなくなった。

エピソード

橋田ファミリー関連
  • 「橋田ファミリー」の一人として有名だが、自身は「“ファミリー”って嫌いなんですよね。(マスコミや視聴者など)皆がつけちゃったんで、ファミリーじゃないわよ」と発言している[19]
  • 『橋田壽賀子ドラマスペシャル 妻が夫をおくるとき』で演じた和田利子は、橋田邸で手伝いをしていた人物で、泉自身が橋田邸で本人と会った事がある[20]
  • 橋田が2021年4月4日に急性リンパ腫のため死去した際は、同じ熱海に居を構えていたことから自宅に駆け付けて、橋田の臨終を看取る[21]
対人エピソード
番組エピソード
  • 『ウィークエンダー』は途中で降板しているが、1回だけ熱を出し、父親からも無理して行くことは無いし「辞めちゃえばいいじゃない」と言われたことで、体調不良として番組を休んだが、そのために降ろされた上に日本テレビの仕事も干されたという[25]
  • ぴったんこカン・カン』ではぴったん子さん(ピン子扮する派手な化粧のバスガイド)で登場時に、店員から無料で出来合いの商品を貰って食べていた。だがテレビの批評で散々に叩かれると、2010年10月22日放送回から自分の財布を持って払うようになった[26]
  • 値切り交渉や人を持ち上げるのも得意である。『紳助社長のプロデュース大作戦!』(TBS系)で宮古島の民宿「夢来人」に行った際も、値切って買い物をした。民宿のエントランスが殺風景だったので民宿造りに協力した建設会社へ行き、エントランスに使う石と花の手配を依頼し、即エントランスの改造作業に取り掛からせた。一方で、値切った店をPRする等の気遣いも見せている[27]
  • フジテレビ系列の『ペケ×ポン』の2012年4月6日放送回に出演した際、番組司会者の上田晋也くりぃむしちゅー)の入院に伴う代役として熊本から来た上田の兄・上田啓介に対して「素人」呼ばわりして暴言を吐き続けた。これを観た視聴者からは非難が相次いだが[28][29]、それに対して啓介はブログにて「ピン子さんは素人の自分を面白くイジってくれた」と、泉に感謝を表している[要出典]
夫とのエピソード
その他
  • 元々は愛煙家で、たばこだけでなくも好きだったが、50歳の時に禁煙・禁酒した。
  • 野球は阪神ファン[34]。元々は巨人ファンだったが、1985年に阪神タイガース日本シリーズを制覇した時に阪神ファンになった。
  • 実母とは泉が2歳の時に死別。その後父は継母と再婚[6]。母が実母ではないと知ったのは小学校4年生の時だった[35]
  • 父は命名する時、『小夜』と書いて『いざよ』と読ませる名前にしたかったが、区役所に受け付けてもらえず断念した。泉は後になって自分の名前について「画数が結婚出来なさそうな後家の相が出てる」と父に話したところ、父に「そのために名付けたんだ」と言われたという[36]
  • 20代半ばの頃、結婚は一度諦めていたと言う[37]。1983年11月18日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)において「幸せは両方の手に乗りませんから、女優は結婚しなくていいんです」とも発言している[36]。「結婚はしないと思う。するとしていたらとっくにしていたと思う。独り身が寂しいのは当たり前だし、私は孤独に耐えて生きる」と言ったことも述べていたことがある[38]
  • 役者仲間の電話番号をほとんど知らない[39]
  • 見聞きした話をすぐに友人知人へ話すことが幼少期から大好きだったが、キャバレー時代、舞台より楽屋の方が面白い人と思われないよう、楽屋では押し黙る姿勢を貫こうとした。しかし堪えきれず、長続きしなかったという[40]
  • 無類のハンドバッグ好きで、高価なものから安価なものまで手広く購入している。本人曰く「成金趣味かもしれない」と断った上で、購入したバッグに合う財布を買うのも好きであると語っている[41]
  • 役者としてドラマに出演する際は、本番の撮影時よりもリハーサルの時が、色々な人の話が聴けて楽しいと語っている[42]

所属事務所経歴

出演

テレビドラマ

NHK総合

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

映画

舞台

  • 泉ピン子ショー 〜 テレビ局は花ざかり (1978年11月24日 - 27日、日本劇場
  • 泉ピン子ショー 〜 ふるさとの歌声 (1979年11月8日 - 12日、日本劇場)
  • おんな太閤記 (2007年)
  • 渡る世間は鬼ばかり

劇場アニメ

以下のアニメ人形劇声優としての出演。

海外アニメ

人形劇

ラジオ

バラエティ

他、多数

CM・広告

音楽

シングル

さらに見る 発売日, 規格 ...
発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
フィリップス・レコード
1977年6月5日 EP FS-2058

[注釈 1]

A 哀恋蝶(あいれんちょう) 藤公之介 小林亜星 竹村次郎
B まさか 高田弘
1978年2月5日 EP FS-2078 A ひとり寝化粧 たかたかし 川口真 あかのたちお
B どうぞお先に なかにし礼
エルボンレコード
1978年5月25日 EP BON-1001 A 岬恋唄 藤公之介 猪俣公章 竹村次郎
B 誘い水
1978年9月25日 EP BON-1009 A チョット見のいい女[注釈 2] 紫牟田健二 竹村次郎
B 夜汽車 田中哲一 上原昇
フィリップス・レコード
1979年10月5日 EP 6PL-31 A 抱擁
B 哀恋蝶 藤公之介 小林亜星 竹村次郎
1980年9月5日 EP 7PL-3 A おばかさん ちあき哲也 浜圭介
B 東京心中地図
1981年10月25日 EP 7PL-53 A 一番星みつけた 千坊さかえ 平尾昌晃 薗広昭
B 夢の中でも
日本クラウン
1990年6月21日 8cmCD CRSN-20 A 駄目な時ゃダメさ 三浦弘
B 幸せたずね人
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アルバム

さらに見る 発売日, 規格 ...
発売日 規格 規格品番 アルバム
フィリップス・レコード
1977年 LP S-7026 哀恋蝶

Side:A

  1. 哀恋蝶
  2. 命かれても
  3. 新宿の女
  4. 思い出ぼろぼろ
  5. 怨み節
  6. 昔の名前で出ています

Side:B

  1. まさか
  2. 恋歌
  3. おんな道
  4. メランコリー
  5. 抱擁
  6. 酔いどれ女流れ歌
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著書

  • 『ここだけのおしゃべり 男と女に関する報告書』(1976年 立風書房
  • 『四年目のラブレター』(1992年 スコラ
  • 『みんな悩んでる ピン子のツンデレ人生相談』(2012年 光文社
  • 『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(2026年 徳間書店[50]

脚注

関連項目

外部リンク

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