肥留間正明
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年表
芸能記者としてのデビュー当時は、「山口百恵と桜田淳子の区別がつかなかった」知識であった。学生時代から映画が大好きで『昭和残侠伝』『仁義なき戦い』、そしてアメリカンニューシネマを並木座などの名画館に追い求めて、ひたすら鑑賞。
1969年、女性自身の記者に転じグラビア班に配属される。ここでルバング島から帰国した小野田寛郎を取材、小野田と腕相撲をして勝利した。雑誌記者1年目の合併の休暇中、ビルマの少数民族カレン族を取材したところ、取材が長引き、帰国後席がなくなり芸能班に配属された。当時女性自身の記者をしていた前田忠明を兄貴分として、芸能記者生活がスタート。
女性自身の発行元の光文社では、1981年10月『週刊宝石』が創刊され、男性誌に身を置き、芸能・スポーツを担当。ここで芸能界で初めて女性アナウンサーを取り上げ、『女性アナウンサー!栄光と汚辱!』というタイトルで、女子アナブームの先陣を切る。また当時人気が出始めた女子プロゴルファーを追いかけて、トップ女子プロの岡本綾子などを取材、ブームの先駆けになる。
光文社では1986年『FLASH』を創刊、再び創刊号を担当する。村西とおる率いるダイヤモンド映像の松坂季実子に出会い、「巨乳」という言葉を使ったところこれが受け、この言葉はすっかり定着した[5]。その後編集プロダクションを設立して1997年に株式会社音羽出版を設立、本格的に出版活動に取り組む一方で、単行本の執筆を行っている。
2023年2月18日、急性大動脈解離のため死去[6]。73歳没。
- 昭和40年 浦和市立大谷場中学校卒業、浦和市立高校(現・さいたま市立浦和高校)入学
- 昭和43年 浦和市立高校(現・さいたま市立浦和高校)卒業、日本大学法学部入学
- 昭和47年 日本大学法学部卒業
- 昭和49年 女性自身(光文社)記者として芸能担当
- 昭和56年 週刊宝石(光文社)創刊に参加、芸能、スポーツなどを担当
- 昭和63年 FLASH(光文社)創刊に参加、“巨乳”という造語が大ヒット
- 平成3年 編集プロダクションを設立
- 平成8年 音羽出版を設立
人物
著書
- 『勝新役者バカ一代』音羽出版 1997年
- 『がんと闘ったスターたち』全国朝日放送 1993年
- 『有名人100人で1000キロやせた!! : お好きなダイエット法をどうぞ』リム出版 1990年 (Lucky books)
- 『女子プロゴルファーの内幕』(リム出版)
- 『芸能界ここまで言っちゃった』(ブックマン社)
- 『没後のマニュアル : これで遺族もひと安心!!』テレビ朝日 1996年
- 『芸能界ここまで言っちゃった』(ブックマン社)
- 『がんばれビートたけし』(鹿砦社)
- 『オレンジレンジ~コザからのメッセージ』(音羽出版)
- 『オレンジレンジ2~少年時代~』(音羽出版)
- 『ウォンビン伝説 : 韓国・江原道から』鹿砦社 2005年
- 『チャン・ドンゴン~ソウルの空から』鹿砦社 2005年
- 『財務省放出金貨で儲けろ!』音羽出版 2007年
- 『龍馬と海 上(脱藩編)』音羽出版 2009年
- 『龍馬と海 下(亀山社中編)』音羽出版 2010年、その他多数
出演
テレビ
- 『やじうまワイド』(テレビ朝日)
- 『こんにちは2時』(テレビ朝日)
- 『邦子がタッチ!』(テレビ朝日)
- 『アッコにおまかせ』(TBS)
- 『スーパージョッキー』(日本テレビ)
- 『スーパーワイドピープル』(フジテレビ)
- 『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)
- 『やじうまプラス』(テレビ朝日)
- 『みんなの疑問 ニュースなぜ太郎』(テレビ朝日)
- 『ノンストップ!』(フジテレビ)など多数