脇子八幡宮

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位置 北緯36度57分30秒 東経137度34分18秒 / 北緯36.95833度 東経137.57167度 / 36.95833; 137.57167座標: 北緯36度57分30秒 東経137度34分18秒 / 北緯36.95833度 東経137.57167度 / 36.95833; 137.57167
主祭神 応神天皇(誉田別命)、豊城入彦命事代主神北陸宮[1]
脇子八幡宮
脇子八幡宮
社殿
所在地 富山県下新川郡朝日町横尾966
位置 北緯36度57分30秒 東経137度34分18秒 / 北緯36.95833度 東経137.57167度 / 36.95833; 137.57167座標: 北緯36度57分30秒 東経137度34分18秒 / 北緯36.95833度 東経137.57167度 / 36.95833; 137.57167
主祭神 応神天皇(誉田別命)、豊城入彦命事代主神北陸宮[1]
社格郷社
本殿の様式 神明造
別名 脇子神社
例祭 7月1日[1]
主な神事 神火受の神事
地図
脇子八幡宮の位置(富山県内)
脇子八幡宮
脇子八幡宮
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脇子八幡宮(わきごはちまんぐう[1])は富山県下新川郡朝日町にある神社

日本紀略』には寛平元年(889年)8月22日に脇子神に従五位下を授けるとの記載があり[1]六国史以外に記載が見られる式外社に該当する。

治承年中、源平合戦が始まると、木曾義仲以仁王の第一王子・北陸宮越中国宮崎に迎え、社殿近くに御所を造り、元服を加え、平家打倒の戦勝祈願を行った[注 1]。八幡宮には、この時、義仲が献進したとされる太刀が光正作の扇額4面・鏡1面とともに保管されている。

戦国時代には、上杉謙信など武士の祈願が多く行われた[2]

天正年間(1573年-1592年)、泊地区に社家を移築し、同地区の氏神となった[3]城山頂上はかつての宮崎城の城址であり、横尾の里宮に対して、ここには現在奥宮が存在する。

享保2年(1717年)、高波で泊町が被害を受けたのを機に翌年に泊町が現在地に大移動したため、当神社も享保5年(1720年)に現在地に社家を遷座した[3]

近代社格制度のもとで神社名を脇子八幡宮として明治6年(1873年)8月に郷社に列格した[3]昭和20年(1945年)に県社昇格の内定を受けていたが終戦となり、翌昭和21年(1946年)に県社となり[3]、現在に至っている。

祭神

祭神名は「応神天皇」、「豊城入彦命」、「事代主神」、「北陸宮」としている[3]

創建

大宝2年(702年)、高向氏(高向大足)により、越中国越後国の国境鎮護の神として脇子山に鎮祭されたと伝わる[1]

神階

従五位下(寛平元年(889年)8月22日)[1]

神紋

ささりんどう

建造物

  • 本殿 - 神明造
  • 拝殿
  • 神明社
  • 奥宮 - 城山頂上

境内地

主な行事

交通

脚注

参考文献

関連項目

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