第6代皇帝聖宗の長男として生まれる。3歳で梁王に冊封、太平11年(1031年)、聖宗の崩御により皇位を継承した。幼年であったため、当初は生母の欽哀太后が摂政として実権を握り、朝政を行っていた。
成人後は欽哀太后を幽閉して実権を取り戻し、親政を開始した。この頃の契丹は国力衰退の兆しが見え始めていたが、興宗は軍事力を増強して北宋への圧力を強め、歳幣(中国語版)を増加させることに成功した。また、新興勢力の西夏に対しても軍を送って屈服させ、朝貢させることに成功するなどして契丹の再建を成し遂げた。文化面・内政面でも繁栄を遂げた契丹は、全盛期を迎えるに至った。
重熙24年(1055年)に40歳で崩御し、太子の査剌が皇位を継承した。