興隆窪遺跡は、敖漢旗興隆窪村の東南部を走る山並みの西南斜面に位置している。1983年以来の発掘面積は、長城以北では最大規模の3万平方メートルに達し、年代的にも長城以北最古の原始村落遺跡となっている。遺跡は直径166メートルから183メートルの不規則な円形で、周囲は幅約1.5メートルから2メートル、深さ0.55メートルから1メートルの溝に取り囲まれていた。遺跡内には1列10棟の建物群があわせて10列、ほぼ西北から東南にかけて整然と並んでいた。
これらの建物はいずれも半竪穴建築であり、平面はほぼ正方形で、長方形のものもいくつか見られた。建物の規模は大小さまざまで、大きなものは約60平方メートル、最大では140平方メートルにも達し、最小のものは約20平方メートルであった。室内にはかまどがあり、穴蔵や墓が設けられていることもあった。たとえば180号建物では、入り口に対して最も奥の部分に118号墓が営まれている。成人男性が仰向けに葬られ、その横にイノシシ類2頭が副葬されている。またいくつかの建物から木炭が発見されているが、おそらく建物の木造部分の残存物であると考えられる。
建物から出土した生産用具はおもに石器で、鋤形器・スコップ・斧・鑿・研磨盤・研磨棒などが見られた。また骨錐・骨刀・漁猟用の銛などの骨器も見つかった。さらに生活用品として、甕・鉢などの比較的簡単な器形の土器が出土している。
興隆窪遺跡の年代は約8000 - 7000年前である。