草奈伎神社
三重県伊勢市常磐にある神社
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概要
祭神
草奈伎神社の祭神は御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)[1]。外宮の祭祀を司ってきた度会氏の遠祖である大若子命(おおわかこのみこと[1]、おおわくごのみこと[2]、大幡主命)が垂仁朝に越国の阿彦(あびこ)を平定する際に使った[1]剣の霊であるという[2]。大若子命は大間国生神社に祀られている[2]。皇大神宮(内宮)方の学者側からは、大若子命を度会氏の遠祖に位置付けることが不遜であると非難されているが、櫻井勝之進は「度会の一族がかつて祖神と仰いだ神々であったということだけは尊重してよいと思われる」と述べている[2]。
大間国生神社の祭神は先述の大若子命と乙若子命(おとわかこのみこと、おとわくごのみこと)の兄弟。両神とも京都市にある梅宮大社の祭神と同じであるとされる[6]。大若子命は鳥羽市沖の答志島・和具の古墳に、乙若子命は志摩市志摩町和具の古墳にも葬られていると伝承されている[7]。
草奈伎神社
大間国生神社
『倭姫命世記』 によれば倭姫命が雄略天皇21年丁巳冬10月(ユリウス暦:477年10月 - 11月)に定めた神社であるとされ、社名・大間国生神社は、「大間社」と記す古書もある[11]。外宮の摂社としては第2位である。
社殿は草奈伎神社と同様に神明造の板葺である[12]。1つの玉垣の中に2つの社殿が建っており、右側(東側)が大間社で大若子命を、左側(西側)が国生社で乙若子命を祀るとされる[1]。『勢陽五鈴遺響』に同様の記述がある[13]。式内社であり、多くの古書に2つの社殿からなることが記されているが、『延喜式神名帳』では「大間国生神社」とあるのみで2つの社殿があるとは記されていない[14]。1976年(昭和51年)5月28日に建て替えられた[12]。
『類聚神祇本源』では清野井庭神社が「大間社東野」にあり、草名伎社が「大間社西」にあったと記述しており、清野井庭神社を今社に比定する説が正しいとすれば、大間国生神社と草奈伎神社の位置がずれることになる[15]。この問題に関して『宇治山田市史』では、往古の大間国生神社は江戸時代の同社よりも広い社地を持っていたと考えられるが、清野井庭神社の再興時点での大間国生神社の社地を基準に考えてしまったため現社地(伊勢市常磐一丁目8番)に清野井庭神社が鎮座したのであり、今社(伊勢市宮町一丁目1番)が式内社の清野井庭神社の本来の社地であるとしている[16]。
歴史
ここでは草奈伎神社・大間国生神社共通事項について記述する。
伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された。また、『止由氣儀式帳』にも記載がある[17]ことから延暦23年(804年)以前から存在したことになる。応仁2年(1469年)にはまだ存続していたものの中世に廃絶し、近世には社地不明となる[18]。
禰宜度会常晨(桧垣常晨)の尽力により、正保2年(1645年)に現社地で再興された[3]。現社地が古代の草奈伎神社社地と同じであるかどうかについては近世に議論もあったが、遷座することはなかった[19]。多くの摂社が再興された寛文3年(1663年)には、すでに再興されていた草奈伎神社・大間国生神社では社殿の建て替えと宮域の画定が行われた[20]。
