菅原橋交差点
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歴史
菅原橋交差点がある場所は、江戸時代には現在の千葉街道しか街道は存在しなかった[5]。1805年(文化2年)の「葛西御場絵図(かさいごじょうえず)」では、「中井堀」に架かる「元佐倉道中(現・千葉街道)」の橋に「菅原大ハシ」の名が確認できる[1]。「菅原橋」の名は、菅原道真を祀る天満宮(現・本一色北野神社[3])に由来する[1]。中井堀は小合溜井を水源とし、新川に達する灌漑用水であった[1]。
1905年(明治38年)の地図には、笹ヶ崎(北篠崎)を経て葛飾八幡宮に至る「上八幡道」が記されている[1]。また、小松川境川(現・小松川境川親水公園)の支流の末端が菅原橋に入り込んでいる様子も確認できる[1]。1928年(昭和3年)に新小岩駅が開業すると、1932年頃には総武線を跨いで上小松町・上平井町への道が整備され、その数年後には「鹿骨街道」が直線に整備された[1]。
関東大震災後、財団法人同潤会により松江村に住宅街が形成され「同潤会通り」が通された[1]。 この通りの北端は河原道(千葉街道の中央3丁目から篠崎に至る古道)に接続していたが、1954年(昭和29年)頃に菅原交差点まで延長され接続した[1]。また、中井堀は徐々に暗渠化し、1970年代前半には「仲井掘通り」の現在の姿になった[1]。新しい道がつくられていった一方で、旧道がそのまま残されたため、現況のような複雑な交差点になったと言える[5]。



