東林寺 (横浜市)

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位置 北緯35度30分05秒 東経139度37分01秒 / 北緯35.501273度 東経139.616905度 / 35.501273; 139.616905座標: 北緯35度30分05秒 東経139度37分01秒 / 北緯35.501273度 東経139.616905度 / 35.501273; 139.616905
山号 天宗山
宗派 曹洞宗
東林寺
所在地 神奈川県横浜市港北区篠原町1252
位置 北緯35度30分05秒 東経139度37分01秒 / 北緯35.501273度 東経139.616905度 / 35.501273; 139.616905座標: 北緯35度30分05秒 東経139度37分01秒 / 北緯35.501273度 東経139.616905度 / 35.501273; 139.616905
山号 天宗山
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観音菩薩
創建年 建治元年(1275年)
開山 楞山周厳
中興年 天保5年(1834年)
中興 祖孝大如
公式サイト 東林寺 公式サイト
法人番号 5020005000443 ウィキデータを編集
東林寺 (横浜市)の位置(横浜市内)
東林寺 (横浜市)
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東林寺(とうりんじ)は、神奈川県横浜市港北区篠原町にある曹洞宗の寺院[1][2]。山号は天宗山[1][3]。本尊は十一面観音菩薩[4]

建治元年(1275年)に創建され、当初は真言宗の寺院「會下寺」と称した[1][4]鎌倉幕府執権の北条氏の帰依により篠原村内に寺領83石の寄進を受けるなど繁栄したが、永徳3年(1383年)の火災で諸堂・什宝と寄進状を失い衰退した[1][4]明応5年(1496年)に宗賢院第二世・楞山周厳が再興して曹洞宗に改め、山号・寺号を現在のものとした[1][4]

元禄13年(1700年)に客殿を建立、天保5年(1834年)に堂地を現在地へ移し客殿・諸堂を再建した[1][4]。この再建を果たした第18世・祖孝大如を中興としている[1][4]。明治42年(1909年)第24世・仏舟達禅の代に本堂大修理および庫裏改築、昭和38年(1963年)に本堂、同40–41年(1965–66年)に庫裏・客殿を大改築した[1][4]。昭和20年(1945年)5月、近隣の陸軍陣地が空襲を受けたが、諸堂は焼失を免れている[4]

伽藍・境内

本堂のほか、客殿・庫裏などを備える[1][4]。本尊は十一面観音菩薩像で、その腹籠の観音像は行基作と伝えられる[1][4]。墓所入口には中世の五輪塔があり、篠原村民・増田九右衛門家の祖先墓と伝えられる[1][4]

ギャラリー

慰霊

同寺には、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関連する朝鮮人無縁仏の石塔と納骨堂がある[5][6]。震災時、第24世・仏舟達禅は寺の竹藪に朝鮮人をかくまったという[7]。震災後、李誠七が収集した遺骨は、宝生寺住職・佐伯妙智の斡旋を経て東林寺と蓮勝寺が受け入れ[8][9]、1961年に納骨堂が整備されるまで本堂に安置された[8]。戦時中、李は裏山を掘り崩すなどして用地を整え[7]、のちに納骨堂が設けられた[10]。第26世・滝田光久は、「仏の前ではみんな平等」との姿勢を示している[7]。毎年旧暦の彼岸には祖先供養の慰霊祭が行われている[4][5][8]

交通

脚注

外部リンク

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