蕭願

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蕭 願(しょう がん、生年不詳 - 951年)は、五代十国時代官僚は惟恭[1]本貫京兆府万年県[2]

後梁の宰相蕭頃の子として生まれた。あるとき蕭願の曾祖父の蕭倣が接客をしていたところ、蕭願は子どものおふざけで、伝呼の声を真似した。蕭倣は「わたしは宰相の位を得たことよりも、長生きをして曾孫の目の前にいることがうれしい」と客にいった。蕭願は弱冠にして進士に及第し、校書郎を初任とした。畿内の県尉として出向し、直史館をつとめた。監察御史・殿中侍御史・比部員外郎・右司郎中太常寺少卿を歴任した。後唐明宗が太微宮で朝祀をおこなったとき、蕭願は酔って公卿の列に並んだため、御史の弾劾を受け、右賛善大夫に左遷された。ほどなく兵部郎中となった。母が死去したため、蕭願は辞職して喪に服した。喪が明けると、蕭願は右司郎中から右諫議大夫に任じられた。給事中・右散騎常侍・秘書監を歴任し、太子賓客に転じた。後周広順元年(951年)春、死去した。礼部尚書の位を追贈された[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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