藤井健次郎
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1866年、加賀国金沢で[要出典]、加賀藩士の家に生まれる[1]。幼くして両親を亡くし、叔母に育てられる[1]。
1892年(明治25年)、東京帝国大学理科大学生物学科卒業[2]。卒業後、同大学助手、助教授として植物学教室で研究と学生の指導を継続[1]。
藤井は中等教育教科書の編纂に注力する一方で、長らく学位論文を提出せず[3]、学位は論文提出ではなく、総長推薦によって授与された[3][4]。
1901年から帝政ドイツ、英国に留学、植物形態学、細胞学、化石学などを学び帰国。
1911年、東京帝国大学教授に就任。1913年、理学博士の学位受領[5]。
1918年に、大阪の実業家野村徳七兄弟の寄付をもとに小石川植物園内に置かれた講座に「細胞学を基礎とする遺伝学講座」と名づけた。実験担当助手にアメリカ留学から帰った保井コノ(当時女子高等師範学校助教授)が務め、初年度の学生は篠遠喜人一人であった。藤井はさまざまな研究を行ったが、結果は短い講演要旨として残すだけで、論文に発表されることは少なく、門下から「不出版癖」と称された。藤井の教室は、染色体のらせん構造を研究した桑田義備、キク属の研究の田原正人、ハスの研究の大賀一郎らを輩出した[1][6]。
1927年、定年のため東京帝国大学を退官、退官後も死去まで植物学教室で研究を継続[1]。東京帝国大学名誉教授の名称を受領[8]。
1929年、和田薫幸会[9]の支援を受けて国際細胞学雑誌「キトロギア」[10]を創刊[1]。
1939年、勅旨をもって帝国学士院(戦後は日本学士院)会員に被命[1]。