藤原仲実

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時代 平安時代後期
生誕 康平7年(1064年
別名 桟敷または高松
 
藤原仲実
時代 平安時代後期
生誕 康平7年(1064年
死没 保安2年12月23日1122年2月1日
別名 桟敷または高松
官位 正二位権大納言
主君 白河天皇
氏族 藤原北家閑院流
父母 父:藤原実季、母:藤原睦子(藤原経平の娘)
兄弟 公実保実仲実苡子
藤原顕季の娘、藤原惟綱の娘
実衡公頼藤原実隆室、季輔季重季兼、実命、円良、藤原宗能
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藤原 仲実(ふじわら の なかざね)は、平安時代後期の公卿藤原北家閑院流大納言藤原実季の三男[1]官位正二位権大納言鳥羽天皇外伯父桟敷または高松を号す。

白河朝承保3年(1076年侍従に任官。永保元年(1081年)頃に従四位下左近衛少将に叙任されると、応徳元年(1084年)従四位上、応徳3年(1086年)右近衛中将、応徳4年(1087年正四位下と近衛次将を務めながら順調に昇進する。寛治5年(1091年)正月に媞子内親王堀河天皇准母)が中宮に立てられると中宮権亮を兼ね、まもなく蔵人頭に補せられ、翌寛治6年(1092年参議に任ぜられて公卿に列した。

議政官の傍らで引き続き近衛中将を兼帯し、嘉保3年(1096年従三位永長2年(1097年正三位と昇叙されている。康和4年(1102年従二位権中納言に叙任された。康和5年(1103年)正月に正二位に叙せられるが、まもなく妹で堀河天皇の女御であった藤原苡子が宗仁親王を産む。同年8月に宗仁親王は春宮に立てられ、嘉承2年(1107年即位鳥羽天皇)したため、兄の権大納言・藤原公実とともに仲実は天皇の外伯父となるが、特別な昇進に与ることはなかった。永久3年(1115年権大納言に至る。

保安2年(1121年腫瘍を病み、12月4日に辞職すると、7日に出家し、23日に薨去した。享年58。

官歴

注記のないものは『公卿補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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