藤本喜久子
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父の仕事の転勤で、鷹巣町、大館市、横手市、十文字町、秋田市と秋田県内各地を転々としており、特に小学校は5回転校していた[4]。
横手市立十文字中学校の時代は演劇に興味があったが、その中学校に部が無かったため、合唱部に入部[4]。歌うことも好きだったが、「やっぱり芝居をやってみたい」という気持ちはずっとあった[4]。秋田市に転居後は秋田県立横手城南高等学校から秋田県立秋田西高等学校へ転入し、そこで初めて演劇部に入部[4]。
東北福祉大学に進学後も演劇同好会に所属[4]。大学3年生になると教育実習があり、その前に出身校に挨拶まわりするが、その時に教育に関わるということは大変なこともあり、「このまま教員免許を取っていいのか」と思った[4]。周囲の友人はボランティアをしていたり、教育や福祉などのはっきり目標があったが、藤本は演劇ばかりしていることもあり、「こんな私が教育者になっていいのか…」と思っていた[4]。その時、「自分がやりたい事は何か」と考えていたところ、芝居しかなかった[4]。
ちょうど春休みに東京都で劇団のオーディションがあるため、自分を試してみようと仲代達矢主宰の無名塾[1]を受ける[4]。当時、700人近くが受けており、その時は藤本も含めて7人が合格した[4]。それですぐに大学に退学届を提出して同大学を中退[4]。無名塾は他の劇団の養成所と違ってお金がかからず、自分の生活費だけあればよかったこともあり、「アルバイトでも何でもして芝居をやろう」、「好きなことをやろう」と秋田から上京[4]。
無名塾の塾生時代の3年間ほとんど朝一番に行って長く指導を受けており、早い時は朝4時半には稽古場にいたという[4]。
塾生時代は無名塾の舞台で小さい役で出演していたが、塾生生活を卒業した後は「外の仕事をやってこい」と言われ、1991年に刑事物のテレビドラマでデビュー[4]。
特技・資格は声楽[1]。