1938年、大阪市浪速区の魚問屋に生まれる[2]。京都工芸繊維大学に進み、学業の傍らで家業を手伝っていたが、「医師になって欲しい」という父親の強い要望を容れて、3年次に大阪医科大学へ編入[2]。大学卒業後は勤務医として過ごしたのち、1969年に診療所を開業した[2]。1976年に「藤立病院」を創立[4]、1980年からは医療法人化し「藤仁会藤立病院」となった[4]。JBCのコミッションドクターに指定されてからは、関西地方で行われる世界戦などでの診察を担当した[2]。また、1995年に発生した阪神・淡路大震災では兵庫県立御影高校の避難所で診察を行った[2]。
2002年6月17日、悪性リンパ腫のため死去[3]。63歳没。