虎尾山
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名称
歴史
宝暦12年、俳諧師の三浦樗良が虎尾山麓に庵を結んだとされるが、はっきりとした場所は不明である[8]。1899年(明治32年)、五二会ホテルの建設のため、虎尾山の東半分が削られて失われた[6]。五二会ホテル廃業後は住宅団地「青葉台」となった[6]。頂上には明治聖代戦役記念碑として、1928年(昭和3年)に碑が建立された[1][6]。周囲には虎尾山遊園地が整備され、橋やトイレなどの設備があった[9]。
長さ約25.5mのトンネル(虎尾山トンネル)がこの丘を貫通し、1969年(昭和44年)に近鉄鳥羽線の宇治山田駅・五十鈴川駅間が開通した。
1960年代までは山麓の広場でドッジボールを楽しむ子供たちの姿[10]やデートをするカップルの姿が見られた[11]が、1970年代には不良少年のたまり場と化し[10]、山火事の発生[11]や不法投棄も行われるようになって戦役記念碑を訪れる者も無く荒れ果てた状態となっていった[10]。そのような現状をなんとかしようと地元住民が特定非営利活動法人自利利他を立ち上げ、清掃活動をひそかに始めた。また、伊勢市を舞台にした橋本紡の小説『半分の月がのぼる空』(電撃文庫)の作中で、主人公とヒロインに縁の深い場所としてこの山が出てきた。清掃活動や里山保全に興味のある方々や半月ファンが、日本全国から集まり、協力して定期的に山の清掃活動や整備をして、頂上まで気軽に行けるようになっている[9][12]。(この活動には原作者の橋本も参加している[9][12]。なお作中では、この山の名前は砲台山で[11]頂上には旧日本軍の砲台跡があるという設定だが、実際の山にはない。)この活動は、中日新聞などにも掲載されたことがある[9][12]。
2008年(平成20年)1月中旬から再開発工事が開始されることが決定し、そこで見納めにとNPO法人 自利利他や全国から集まった『半分の月がのぼる空』のファンらが協力し、「砲台山ライトアップ計画」と題し、2007年(平成19年)から2008年(平成20年)の年越しにかけてライトアップが行われた。この取り組みも中日新聞折込の伊勢志摩ホームニュースに掲載された。2009年(平成21年)4月に全長約140mの登山道の整備が完了したが[11]、同年10月の台風18号によって倒木などでふさがれた[11][13]。4月に整備した登山道を再整備するには多額の費用が掛かることから、NPOは木製の階段付きの登山道を新たに整備することを決定し、森林組合の助力を得て、同年12月に新登山道を開通させた[11]。開通記念として2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけての年越しに再びライトアップが行われた[11]。2010年(平成22年)の映画版『半分の月がのぼる空』は、虎尾山でロケーション撮影が行われた[2][1][3]。映画公開後の2010年(平成22年)10月中旬、住民とファンが協力して登山道の雑草刈りや雑木の除去などの整備を行った[2]。
明治聖代戦役記念碑
虎尾山古墳群
5世紀頃に3基以上の古墳(虎尾山古墳群)が築造されたと考えられており、須恵器や土器、佩玉(はいぎょく)、直刀などが出土した[16]。この古墳群は江戸時代から大正時代にかけて複数回にわたって発掘調査が行われ、付近にある倭姫命の陵墓(宇治山田陵墓参考地)と関係があるのではないかと目されたことから、御巫清直や三宅米吉、宮内省職員らが視察に訪れたほか、1890年(明治23年)の発掘調査時には毎日千人の見物客が詰めかけたという[17]。結果的には、この古墳はのちに豊受大神宮(外宮)の神官を世襲し、度会氏を名乗ることになる一族の墳墓と推測された[15]。しかし周辺の開発が進んだことで古墳群は破壊され、出土品も所在不明となってしまった[6]。

