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虞美人草

夏目漱石の小説 From Wikipedia, the free encyclopedia

『虞美人草』(ぐびじんそう、虞美人艸[1])は、夏目漱石の小説。1907年6月23日から10月29日まで朝日新聞上に連載された[2][3][4]。

『虞美人草』原稿の一部

概要

漱石が職業作家として執筆した第1作で[4]ある。朝日新聞掲載時には総ルビが付く。全19話(連載時は127回[4])。春陽堂からの単行本は明治41年1月1日発行で一円五十銭で販売された。タイトルの「虞美人草」は最終回の19話で登場する屏風絵の主題であり、逆に立てた二枚折の銀屏風[5]に描写される。抱一(酒井抱一と思われる)の落款があると設定されるが、酒井抱一にはこのような主題で作成された屏風絵は確認されていない。

本作はしばしばメレディス「エゴイスト」「ヘンリー・エズモント」、サッカレー「虚栄の市」「ダイアナ」、ジェイン・オースティン「高慢と偏見」などの翻案(粉本)と指摘されることがある[6]。漱石作品の連載は朝日新聞の社運をかけた大冒険であり、マスコミの威力で前評判は大変なものであったという。小宮豊隆は「漱石が大学をやめて新聞に這入ったといふことは、当時の一大センセーションであった。その漱石が今度虞美人草を書くといふので、三越では虞美人草浴衣を売り出す、玉宝堂では虞美人草指輪を売り出す、ステーションの新聞売子は「漱石の虞美人草」と言って朝日新聞を売ってあるくといふ風に、世間では大騒ぎした」[7]という。

伊藤(1982)によれば漱石は本作を執筆当初は楽しんで書いていたものの、すぐに嫌になったという。その原因について伊藤は俳句的な写生文で書き始めたものの、長編においてはほとんど不可能な文体であると認識した、しかし「遮二無二、その不可能な文体で押し通した。是が漱石を苦しめる第一の原因だったらうとおもふ」(小宮豊隆「夏目漱石」1953年9月岩波書店)との見解を紹介する[8]。

あらすじ

藤尾(ふじお)は24歳[9]の虚栄心の強い美貌の女性。母違いの兄の甲野欽吾(こうのきんご)は27歳。虚弱であり継母からは「病気」であると事あるごとに世間に吹聴されている[10]。自身も結婚しない事を公言しているのを良いことに、藤尾は亡き父親の洋行帰りの品で遺品でもある金時計(甲野家の財産を象徴している)と自らの美貌で、小野清三(おのせいぞう)と宗近一(むねちかはじめ)という二人の男性を天秤にかけ、彼らが狼狽する様を楽しんでいた。欽吾にとっての継母、藤尾の実の母親は、口では継子の欽吾の身を案じているものの、いずれは藤尾とその夫が亡夫の遺産を全て相続すると考えていた。また、藤尾は自分を慕い訪ねて来る小野に講釈をさせては、独自の解釈で小野の心を誑かしていた。

藤尾より3歳年上の小野は、恩師井上孤堂(こどう)の愛娘である小夜子(さよこ)を妻に娶るという口約束を交わしていた。老い衰えた井上と小夜子は生活に窮し、小野を頼って京都から上京する。藤尾への恋慕を抱える小野は義理と情欲の板挟みに密かに苦しんでいた。

一方、快活で剛毅な性格の宗近は外交官の試験に及第するため勉学に励んでいた。しっかり者の妹糸子(いとこ、宗近は糸公と呼ぶ)と父親と共に生活を送っていた。28歳で屈強な肉体を持つ宗近は、若くして隠棲している欽吾の身を案じている。

ある日、藤尾、欽吾、宗近、糸子ら4人は上野恩賜公園で行われた東京勧業博覧会見物に繰り出す。一方、小野は井上と小夜子を案内していたが人ごみに疲れた二人を休ませるためカフェで休憩している際に藤尾たちにその様子を目撃された。藤尾は後日小野をめぐりくどく問い詰める。一方、小夜子は博士論文の提出を控えているという小野の変貌ぶりに驚いていた。

欽吾は宗近宅を訪ね、糸子と世間話をする。糸子は欽吾に思いを寄せていたが、欽吾は自分には養えないと婉曲に断る。藤尾に対する憧れを口にした糸子に、欽吾は「藤尾のような女がいると殺される人間が5人はいます」と打ち明け、「貴方はそのままでいてください」と糸子に語る。欽吾は改めて藤尾の気持ちを確認するが、藤尾には宗近の嫁になる意志はなく、小野に固執していた。

小野は知人の浅井を通じて小夜子との縁談を断るつもりでいた。一方、宗近は外交官の試験に及第したことを父や糸子に報告し喜びを分かち合う。宗近は欽吾の嫁になる気はないかと尋ねると糸子は泣き出す。糸子は欽吾に恋慕しており、欽吾も糸子に好意はあったがまるでなにもかも諦めているように提案を断る。

宗近は報告と、出家する素振りの欽吾の心境を尋ねるため甲野家を訪れる。だが、藤尾のもとに小野が訪れていることを目撃する。宗近が欽吾を問い詰めると、欽吾は継母の真意に沿うように自分が悪者になって家を捨て、財産の全てを藤尾と継母に委ねるつもりだと吐露する。そんな欽吾に宗近は糸子を娶ってくれと頼み込み、世間の全てが欽吾の敵となっても糸子だけは味方になると欽吾を説得する。

一方、小野に依頼された浅井は井上を訪ね、博士号取得を理由に小夜子との縁談をなかったことにして欲しいと頼み込む。その替わりに生活の援助はするという小野の言葉を浅井は伝えるが、井上は激昂し、人の娘をなんだと思っていると浅井に怒りをぶちまける。小夜子は浅井と父のやり取りを聞いて落涙する。

井上の態度に悩んだ浅井は宗近に相談する。その頃、小野は藤尾と約束した駆け落ちを果たすべきか迷っていた。そこに宗近が乗り込む。そして人の道を説き、真面目になるべきだと懇々と説得する。

欽吾は甲野家を出る意志を固める。糸子が迎えに来ていた。父の肖像画だけを持って家を出ようという欽吾に継母は世間体を口にして押し留める。其処に宗近と小野、小夜子が連れだって現れる。そして小野が連れた小夜子こそが彼の妻となる女性だと紹介する。一方、待てども待ち合わせに現れない小野に業を煮やした藤尾は甲野家に戻り、小夜子を伴った小野に対面。謝罪された上で小夜子が自分の妻となる女性と紹介される。藤尾は宗近に見せつけるように金時計を取り出すが、宗近からこんなものが欲しくて酔狂な真似をしたのではないと突き放される。藤尾は倒れ、突然死する[11]。藤尾の葬儀の様子が耽美的に描写され、甲野による義母への痛烈な批判、異母妹への冷淡な独白を記す日記の一節と、ロンドンに赴任した宗近の短評を記して物語は終わる。

映像化

映画

これまでに、2度映画化されている。1935年版、1941年版がある(1921年版もあるが内容は小説と無関係)。

テレビドラマ

テレビドラマとしては4作品制作されている。

上記の作品の他、1981年に向田邦子脚本、松田優作主演の作品が制作される予定だったが、向田邦子が飛行機事故で急逝したため、実現には至らなかった。この作品のキャストは、そのまま1982年の向田邦子追悼ドラマ「春が来た」に流用された。[13]

さらに見る NHK NHK劇場, 前番組 ...
NHK NHK劇場
前番組 番組名 次番組
虞美人草
(1961年NHK版)
毎日放送制作・NET系列 大丸名作劇場
(なし)
虞美人草
(1966年版)
女であること
毎日放送制作・NET系列 木曜21時台前半枠
虞美人草
(1966年版)
女であること
TBS系列 ザ・サスペンス
死に急いだ女
虞美人草
(1984年版)
妻たちの危険な昼下がり
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関連項目

脚注

外部リンク

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