蝴蝶 (小説)
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| 蝴蝶 | |
|---|---|
| 作者 | 山田美妙 |
| 国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| ジャンル | 短編小説、歴史小説 |
| 発表形態 | 雑誌掲載 |
| 初出情報 | |
| 初出 | 『国民之友』第37号附録、1889年1月 |
| 出版元 | 民友社 |
| 挿絵 | 渡辺省亭 |
『蝴蝶』(こちょう)は、山田美妙が1889年(明治22年)1月に発表した小説。初出は1889年(明治22年)1月2日発行の『国民之友』第37号附録[1]。その後、同年3月に発刊された『小説花籠』や、翌年10月に発刊された『国民小説』にも収録された[1]。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いを背景にした歴史小説であり、主人公の宮女蝴蝶が、自身が仕える安徳天皇(および平家)への忠誠と、敵方と判明した恋人二郎との間で葛藤する場面が書かれている。渡辺省亭が描き掲載された裸婦像(裸蝴蝶)も評判となり論争にもなった。
壇ノ浦の戦いが背景となった歴史小説になっている[2]。主人公は蝴蝶という名の女性であり、建礼門院平徳子や二位尼平時子、安徳天皇に同行していた宮女[3][4]。史実では安徳天皇は壇ノ浦で入水したが、美妙は安徳天皇生存説を物語に活かした[5][6]。
蝴蝶は安徳帝や女院を追い戦場から小舟で逃れようとするも、味方の雑兵から乱暴を受けそうになり、舟から転落する[7][4]。蝴蝶は壇ノ浦へ続く海岸沿いに流れ着き、そこで濡れた衣服を半ばまといながら困惑しているところ、平家方の武者でかねてより蝴蝶が恋心を抱いていた二郎春風と出会う[8][4]。その後3年間、二人は夫婦となり貧しい暮らしをしていたが、安徳帝の居場所を知った二郎は、自身が源氏の間者であることを明かし、帝の在所を源氏へ報告しようと述べる[9][10]。蝴蝶は帝のため最愛の人である二郎を殺そうと思うも葛藤、しかし結局二郎を殺してしまう[11][10]。二郎を殺害した後、蝴蝶は近くを通った里人から昨日朝に帝が死去したことを知る[12][10]。
特徴
小説文章上の言文一致を目指していた山田美妙は、1886年(明治19年)に『嘲戒小説天狗』を発表して以来、言文一致体の小説を発表した[13]。『蝴蝶』では、文末に「です」を用いた「です」調で書かれた[14]。美妙は初期の小説では、「だ」調の言文一致文を書いていたが、1888年(明治21年)ごろから「です」調を用い小説や論説を発表していた[15]。『蝴蝶』はそれまでの美妙が発表した「です」調の小説よりも、文章の質が良くなったとされる[16]。一方、美妙は小説で対象とした時代の口ぶりを写すとして、『蝴蝶』内の登場人物の会話文には「給ふ」などの古語を使用した[14]。
十川信介は『蝴蝶』の文章には、「語り手が人物と一体になって状況を写す「文法」」があるとし、「「主客の格を明亮にすること」に疑いを持った」美妙の文章上の実験が現れており、『蝴蝶』の語り手は自由に登場人物の心を行き来しているとする[17]。
また、小説内に挿入された渡辺省亭による裸婦像は、美妙が仕立て省亭に指示を出し制作されたとされる[18][19]。省亭により描かれた実際の図は、省亭の師である菊池容斎が描いた「塩冶高貞妻の浴後の図」(菊池が編述した『前賢故実』にある挿画)の影響が指摘されている[18]。
影響・評価
『蝴蝶』発表後、小説内の裸婦像が大きな反響を呼んだ[20]。『読売新聞』の寄書欄では、美術による風俗の壊乱が批判される一方で、森鷗外は西洋美学の観点から裸蝴蝶の擁護をした(裸蝴蝶論争)[20][21]。
美妙は『国民之友』38号に裸婦像に対する批判への反駁文を発表するも[22]、裸蝴蝶への批判は止まず、擁護論も加わりながら論戦が続いた[23]。山田俊治によれば、これら『読売』紙上に掲載された裸蝴蝶批判の内容は、美術による風俗壊乱や世俗秩序の攪乱を批判しており[21]、「美術を世俗の論理に従わせる検閲的な視線」であったとされる[24]。
『蝴蝶』をめぐる同時代の評判や論争は、小説の内容に関するものではなく、裸婦像の可否が主となっており[20][25]、『読売』紙上の論戦も、批判側は「裸蝴蝶」をただ批判するだけが目的で的外れな言説を投げるなど、生産的なものにはならなかったとされる[25]。一方で、美妙も種々の反駁文を発表したものの、裸体美がなぜ美術的な価値を持つのかについて知的な分析を行えず、積極的な論拠を提示できなかったとされる[24]。
文学者からは巖谷小波が、不出来な裸婦像を雑誌に掲載した徳富蘇峰を批判し、美妙に対しても美妙が論じる裸体の曲線美について説明を求めた[24]。また、尾崎紅葉も『我楽多文庫』に「蝴蝶」の裸婦像への非難文を掲載し[26]、美妙へ向こう見ずな姿勢を用心するよう忠告したとされる[24]。その他、依田学海も裸婦像に批判をしている[24]。また、内田魯庵は古語を用いた会話文の読みにくさなど、いくつかの欠点を挙げつつも、作品自体は絶賛した[27]。実際のところ、『国民之友』第37号附録には、美妙の小説のほかに坪内逍遥の『細君』、森田思軒が訳した『探偵ユーベル』などが掲載されていたが、話題は『蝴蝶』が独占し、作家としての美妙の名は世間に知れ渡ることとなった[28][29][30]。