血のバレンタイン (映画)

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原案 スティーヴン・ミラー
製作 ジョン・ダニング
アンドレ・リンク
スティーヴン・ミラー
血のバレンタイン
My Bloody Valentine
監督 ジョージ・ミハルカ英語版
脚本 ジョン・ビアード
原案 スティーヴン・ミラー
製作 ジョン・ダニング
アンドレ・リンク
スティーヴン・ミラー
出演者 ポール・ケルマン
ロリー・ハリアー英語版
ニール・アフレック英語版
音楽 ポール・ザザ英語版
主題歌 ジョン・マクダーモット英語版 『ハリー・ウォーデンのバラード』
撮影 ロドニー・ギボンズ
編集 ジェラルド・ヴァンシエ
リット・ウォリス
製作会社 テレフィルム・カナダ英語版
シークレット・フィルム・カンパニー
配給 パラマウント映画
公開 カナダの旗 1981年2月13日
アメリカ合衆国の旗 1981年2月11日
日本の旗 1981年9月12日
上映時間 90分
製作国 カナダの旗 カナダ
言語 英語
製作費 $CAD2,300,000[1]
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $5,672,031[1]
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血のバレンタイン』(ちのバレンタイン、原題:My Bloody Valentine)は、1981年制作のカナダホラー映画。本国カナダとアメリカでは残酷シーンがカットされたものを公開、日本のみ完全版で上映された。

アメリカ東部にある小さな炭鉱町・ハニガー。20年前のバレンタインデーの夜、この町で世にも恐ろしい事件が起きていた。

町の炭鉱で作業していた鉱夫達の内の2人が、ハニガーで開かれていたバレンタインのパーティーに参加しようと急ぐあまり、炭鉱内のメタンガス量の確認を怠って退出したために爆発事故が発生し、現場に残っていた鉱夫達が生き埋めになるという悲劇に見舞われた。

事故発生から6週間後に救出された唯一の生存者ハリー・ウォーデンは、生き延びるために同僚の遺体の肉を食べて狂乱状態に陥っていたことから精神病院への入院を余儀なくされる。その翌年のバレンタインデーの夜、精神病院を退院したハリーは爆発事故を起こすきっかけとなった2人の鉱夫を惨殺し、抉り出した彼らの心臓を入れたハート型のキャンディー箱と「二度とバレンタインデーを祝うな」という警告を記したメッセージカードを町のパーティー会場に残して姿を消した。この復讐劇以来、ハニガーの町はバレンタインデーのパーティーを行わなくなっていた。

しかし、事件から20年の月日が流れたバレンタインデーの日、何も知らない若者達がパーティーを復活させる。多くの参加者達がパーティーでの一時を楽しむ一方で、かつての爆発事故が起きた炭鉱へ肝試しに行く参加者もいた。それを見計らったかのようにハリー・ウォーデンらしき人物が現れ、パーティーの参加者達を次々と血祭りに上げていく。

キャスト

役名 俳優 日本語吹替
フジテレビ
T.J.ポール・ケルマン志垣太郎
サラロリー・ハリアー英語版弥永和子
アクセルニール・アフレック英語版池田秀一
ニュービー警察署長ドン・フランクス坂口芳貞
ホリスキース・ナイト英語版玄田哲章
ハワードアルフ・ハンフリーズ英語版野島昭生
パティシンシア・デイル英語版小山茉美
シルヴィアヘレン・アディイタリア語版高島雅羅
メイベルパトリシア・ハミルトン英語版島美弥子
トミージム・マーチソン喜多川拓郎
ハニガー市長ラリー・レイノルズ大木民夫
ハッピージャック・ヴァン・エヴェラ上田志好
デイブカール・マロッテ英語版
ハリー・ウォーデン英語版ピーター・カウパー
その他N/A谷口節
大塚芳忠
上山則子
巴菁子
竹村拓
佐々木優子
加藤正之
日本語版制作スタッフ
演出河村常平
翻訳平田勝茂
調整荒井孝
制作東北新社
解説高島忠夫
初回放送1986年2月8日
ゴールデン洋画劇場

スタッフ

製作

ジョージ・ミハルカ英語版が監督した小規模なインディペンデント映画のティーン・コメディ「Pick-up Summer」がカナダと米国で好成績を収めたことから、ジョン・ダニングとアンドレ・リンクが率いるシネピクス・プロダクションズから2本の映画契約の誘いを受けた。シネピクスは『シーバース/人喰い生物の島』や『ラビッド』など、デヴィッド・クローネンバーグ監督の初期の長編ホラー映画を製作した会社であった。本来、契約の2本はどちらもコメディ映画の企画だったが、1本目の製作が難航。ダニングはミハルカに、スティーヴン・ミラーが構想したホラー映画のプロットを見せ、これに興味があるか打診した[2]

当時、『13日の金曜日』のヒットを受けて作られていた多くのスラッシャー映画の亜流作品に比べ、興味深い内容になりそうだったことからミハルカはこの企画を承諾。ダニングは脚本家にジョン・ビアードを招いた。数か月以内に撮影に取りかからなければならない切迫したスケジュールの中、ビアードは驚くべきスピードでシナリオを書きあげ、そのプロフェッショナル魂はミハルカを驚かせた[2]

エンドクレジットに流れる物悲しい主題歌『ハリー・ウォーデンのバラード』を歌唱しているのは、スコットランド系カナダ人のテノール歌手、ジョン・マクダーモット英語版。マクダーモットは2021年のポッドキャストのインタビュー内で、本作の音楽を担当したポール・ザザ英語版とは家族ぐるみの付き合いがあったため、学校を卒業したばかりで主題歌を唄う機会が与えられたと話している[3]

撮影

撮影は1980年9月にカナダのノバスコシア州にあるシドニー鉱山で始まった。脚本では、かつて鉱山として栄えていた町が舞台になっていたが、この当時シドニー鉱山は閉鎖され、経済が悪化して町全体がくすんだ雰囲気だったことからロケーションに合っていると判断されたのだ[4]。しかしシドニー鉱山の町は、小さな土産物店1件を除き、埃っぽく殺風景であまりにも寒々しすぎることから、スタッフは75,000ドルを費やして町のリペイントを行なうことになった。当初『血のバレンタイン』の製作費は200万ドルを予定していたため、町の見栄えを良くするためだけに、既に予算を大幅に上回ってしまった。町の人々はホラー映画の撮影隊が来ていることを理解し、とても歓迎してくれていたという。店先の赤いハートの飾りつけなどはスタッフが行なったが、住人たちも協力的で、喜んで手伝ってくれた[2]

困難を極めたのは鉱山の撮影で、実際に炭鉱夫たちが使用していたエレベーターで降りなければならず、地下900メートルの最深部まで下降するのに15分も要した。エレベーターは2機あったが、どちらも12人しか乗れない物で、スタッフ全員を地下に下ろすだけで時間もかかった[2]

削除シーンの復元

本作はアメリカの映画審査機関MPAAから、過剰なバイオレンスと残虐性があるという理由で9分のカットを命じられた。監督のミハルカは、検閲の問題がなければ『血のバレンタイン』は、このジャンルで史上最高の興行収入をあげた映画のひとつになったはずだとインタビューで明かした。続けて、公開版に血はほとんど残らなかったものの、この映画に関わった多くの才能ある俳優たちの功績で、良い印象の残る映画になり得たと自己評価している[2]

『血のバレンタイン』のノーカット版は30年近く完全な形で観ることができず、2002年に初めて北米でDVD化されたパラマウントのソフトは残酷描写がカットされたバージョンだったため、削除シーンはもう失われたと見なされていた。のちに映画配給会社ライオンズゲートが、本作のリメイク版『ブラッディ・バレンタイン3D』を製作する際、オリジナル版のホームビデオ化権を獲得し、ようやく2009年に削除部分を復元したDVDとBlu-rayをリリースした[5]

このBlu-ray/DVD発売当時(2009年)、ミハルカ監督はCOMINGSOON.netのインタビューに対し、「MPAAによって映画はコマ単位まで切り刻まれ、私たちも多くの傷を負ったが、このバージョンをリリース出来るところまで漕ぎ付けられたのは、『血のバレンタイン』を長年応援してくれたファンのおかげだ。非常にホッとした」とコメントした。また、6年前にディレクターズ・カット版の製作を依頼され、保管庫を調べたところ「当時のネガはすべて腐食したか、消滅していることがわかりました」と明かした。そのため、2009年版Blu-rayが必ずしも削除部分を総て補った完全版ではないとしつつも「映画全体のイメージの80%、衝撃の95%は復元されています」と語っている [6]

評価

レビュー集積サイトのRotten Tomatoesでは26 件の批評家レビューで58%の支持率を獲得しており、平均点は5.6/10となっている[7]

エンターテインメント・ウィークリー」2007年3月30日号では、『エスケープ・フロム・L.A.』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』に混じって“罪深い快楽映画”の17位にランク・インし、「スラッシャー映画のジャンルで、もっとも過小評価されている作品」と評された。また、クエンティン・タランティーノが特にお気に入りの映画として絶賛している[8]

映画評論家のティム・ブレイトンは「『ハロウィン』以降のホラー映画は怖くないという壁を打ち破ることは出来なかったが、不気味な復讐者ハリー・ウォーデンのキャラクターに固執することで、数あるスラッシャー映画の中でも効果的なスリラーの高みには到達している」と高評価した[9]

トリビア

リメイク

脚注

外部リンク

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