西恵子
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高校卒業後、武蔵野ドレスメーカー(現・専門学校武蔵野ファッションカレッジ)に進学するが、学校で開催された学園祭に先輩の薦めで出演していたところ、学園祭を見ていた芸能関係者にスカウトされて吉村事務所に所属する[2]。
1968年、日活映画『BG・ある19才の日記 あげてよかった!』でデビュー。本作を機に日活と専属契約を結び、丘みつ子、沖雅也、長谷川照子とともに「エメラルドライン」として売り出すが、日活が任侠映画やロマンポルノに方向転換したことも重なり、低迷する[2][3]。
1970年、ライオン奥様劇場『続・下町育ち』(フジテレビ)に、鮎川いずみと姉妹役でレギュラー出演[2]。同作の制作会社であるNMCからはデビュー当時、出演依頼があったものの事務所の方針で辞退していた[2]。当時は五社協定があるため、他社作品である本作には出演できないところであったが、当時の日活の常務に直訴したところ了承され、出演可能になった[2]。当時の紹介記事では、日活を離れるか悩んでいるとしたうえで「新しい道を開けるか勝負です」と述べている[3]。
『続・下町育ち』終了後、日活から柊企画に移籍してテレビドラマに活動の場を移し、『ワン・ツウ アタック!』(東京12チャンネル)などへの出演を経て、1972年の特撮テレビドラマ『ウルトラマンA』に超獣攻撃隊・TACの女性隊員・美川のり子役でレギュラー出演[2]。
『ウルトラマンA』終了後もテレビドラマで活動するが、1975年の昼ドラ『女の日時計』(毎日放送)で共演した俳優の勝呂誉に勧められて始めたゴルフを通じて知り合った男性と結婚し、引退した[2]。
引退後は女優になる前からの夢だった喫茶店の経営を東京・銀座で夫と共に始める[2]。(銀座三丁目 喫茶店「珈琲 蕃」) しかし多額の借金をして開店させたものの過労で夫がダウンし、借金の返済どころか、高額医療で毎月60万円もの費用がかかったと言われている。 膨れ上がった借金は1億円にもなったという。 そんな苦しい時に救ってくれたのは、息子の存在だったという。一生懸命働き借金は全て返済。 夫も奇跡的に回復した。その後は息子が経営を継いだが、2019年12月31日17時で39年の歴史を閉じ、閉店した。
長らく表舞台に姿を現すことはなかったが、2006年にはファミリー劇場の『ウルトラ情報局』6月号にゲストとして登場した。その後はファンとの交歓の場に出るようになり、2019年に新潟市中央区の飲食店にてファンの集いに参加した際には、当時の同県副知事の溝口洋も駆けつけてギター演奏を担当している[4]。
ウルトラヒロインの先輩にあたるひし美ゆり子(ウルトラセブン友里アンヌ隊員役)とはひし美主催のトークイベント「ゆり子の友達の和」に準レギュラー(ゲスト常連)として呼ばれるなど仲が良い[5]。
また、喫茶店閉店後も前述のひし美とのイベントだけではなく、『ウルトラマンA』で共演していた、高峰圭二、佐野光洋と一緒に梅津ダン役で出演していた梅津昭典に再会したのを高峰のTwitterで紹介されたりと自身のブログ等は持っていないが、他の人のブログ等やウルトラ関連のイベントには登場している。
エピソード
- 特技は、日本舞踊[1]、英文タイプ[2][3]。
- 『ウルトラマンA』の劇中で着用した私服は、父親に頼んで縫ってもらった。また、第4話「3億年超獣出現!」で使用したブローチは私物であった。そのブローチは劇中で爆弾として使用されるため、監督の山際永三が非常に気遣って何度も念を押されたが、第4話は西がメインとなるエピソードであり、「いい物を着けたいので大丈夫です」と使用不能となることを了承している。結果的にブローチは劇中で破損しているが、後年のインタビューの中で「映像に残っていてよかった」と述べている[2]。
- 『ウルトラマンA』当時の紹介記事では「ゴールデンタイムのドラマに出演したいという夢はありますが、今は本作に全力投球しています。与えられた仕事を一つ一つ大切にすることが肝心だと思います」と述べている[6]。