西村栄男
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生い立ち
現在の静岡県浜松市天竜区にて生まれた[1]。池谷薫が彗星を発見したとの報に触れ[1]、自らも新しい星を見つけようと決意した[1]。また、中学校の教員から本田實の著書を紹介され[2]、いよいよ星への関心が高まった。その結果、進学先の高等学校が決まっていたにもかかわらず[2]、中学校の校長室で「星を観測したいから高校進学をやめて働きます」[2]と宣言した。驚いた校長や担任の教諭から説得されたものの[2]、その決意は変わらず[2]、結局進学を取りやめてしまった[2]。光学系以外の機材を全て自作し[1]、16歳より新しい天体の発見に挑んできた[1]。
天文家として
1994年7月5日に15cm25倍双眼鏡で観測中に新彗星を発見。ほかに同じ静岡県の中村正光やドナルド・マックホルツも3番目以内に発見したため、C/1994 N1 中村・西村・マックホルツ彗星と命名された[3]。彗星を発見した地に石碑が建立され、周辺は「彗星発見の丘」と呼ばれている[4]。
さらに2000年以降はf=200mmの望遠レンズとデジタルカメラを用いて多数の新星や矮新星を発見している。2021年7月22日にはぎょしゃ座に自身2個目の新彗星であるC/2021 O1 西村彗星[5]を10等級で発見している。
その他、小惑星「(4948)Hideonishimura」は西村の功績をたたえ、その名を冠して命名された[6]。
人物
天体観測の際には、愛犬とともに出かけることが多い[7]。天体観測は、家族だけでなく[8]、職場の仲間など[8]、さまざまな人々によって支えられているという[8]。特に、職場の仲間たちは、手袋や懐中電灯などを贈呈してくれ[8]、ときには機材の購入を支援してくれるなど[8]、さまざまな協力や支援をしてくれたという[8]。西村は、これまでの多くの人々からの協力や支援について回顧し「多くの新しい星との出会いは自分の力だけではない」[8]と述べている。
高等学校への進学をやめると宣言したとき、驚いた担任の教諭は考え直すよう勧めてきたが[2]、その後は理解を示し、卒業証書授与式の際に励ましの言葉を贈られた[2]。後年、担任だった教諭から「あのとき、君の担任だったことを誇りに思っている」[2]と記された手紙が届き、西村は感涙した[2]。
現在は夕方から西の空の彗星を捜索し、その後天の川を新星発見のため掃天撮影したあといったん帰宅し画像を確認した後仮眠。そのあと明け方に東の空の彗星を捜索しに再び出かけるというスタイルを続けている[9]。
賞歴
- 1995年3月24日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2004年3月23日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2005年3月29日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2006年3月27日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2006年3月27日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2007年3月29日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2008年3月26日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2008年3月26日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2009年3月25日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2010年3月26日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2011年9月20日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2011年9月20日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2012年3月20日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2013年3月21日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2013年3月21日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2016年3月15日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2017年3月17日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2018年3月15日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2019年3月16日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2019年3月16日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2020年3月17日 - 日本天文学会天体発見功労賞。
- 2021年3月18日 - 日本天文学会天体発見賞。
- 2021年3月18日 - 日本天文学会天体発見功労賞。