うお座
黄道十二星座の1つ
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うお座(うおざ、ラテン語: Pisces)は、黄道十二星座の1つ。トレミーの48星座の1つでもある。尾をひもで繋がれた2匹の魚をモチーフとしている[2][8]。ペガススの大四辺形の東と南の辺に沿って広がる。88星座中14位という比較的大きな領域を持つ[5]が、最も明るい星でも4等星とあまり目立たない星座である[2]。21世紀現在の春分点はこの星座の領域内に位置している[2][8][9]。
| Pisces | |
|---|---|
|
| |
| 属格形 | Piscium[1][2] |
| 略符 | Psc[1][2] |
| 発音 | [ˈpaɪsiːz]、属格 /ˈpɪʃiəm/ |
| 象徴 | 2匹の魚[1][2] |
| 概略位置:赤経 | 22h 51m 17.1399s - 02h 06m 39.6594s[3] |
| 概略位置:赤緯 | +33°.6818962 - −6°.3074551[3] |
| 20時正中 | 11月下旬[4] |
| 広さ | 889.417平方度[5] (14位) |
| バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 86 |
| 3.0等より明るい恒星数 | 0 |
| 最輝星 | η Psc(3.620等) |
| メシエ天体数 | 1[6] |
| 確定流星群 | 2[7] |
| 隣接する星座 |
さんかく座 アンドロメダ座 ペガスス座 みずがめ座 くじら座 おひつじ座 |
特徴

北東をさんかく座、北をアンドロメダ座、北西をペガスス座、南西をみずがめ座、南をくじら座、東をおひつじ座に囲まれている[9]。20時正中は11月下旬頃[4][5]で、北半球では秋の星座とされ[10]、晩春から晩冬にかけての長い期間観ることができる[9]。赤緯+33°.7 を北端、-6°.3 を南端に、天の赤道を跨ぐように位置しているため、人類が居住しているほぼ全ての地域から星座の全体を観ることができる[9]。88星座中14位という比較的大きな領域を持つ[5]が、最も明るく見える η星でも3.62 等と暗く[11]、夜でも空が明るい市街地からその全容を見るのは難しい[2][12]。
21世紀現在、3月中頃から4月下旬まで太陽はこの星座の領域内に位置しており[8][9]、春分点はこの星座の南西部、ω星の南約7°にある[8][9]。春分点は地球の歳差運動の影響で西へと移動しており、西暦2597年頃に西隣のみずがめ座へと移ると予測されている[2][8]。
ペガススの大四辺形の南に円弧を描いて並ぶ、θ・7・γ・κ・λ・19・ι の7つの星々は、欧米では「サークレット[13](Circlet[8][14][15])」と呼ばれる。

由来と歴史
古代メソポタミア - 古代ギリシア・ローマ期
うお座は古代メソポタミアに起源を持つ星座で、紀元前3千年紀または紀元前2千年紀にその原型が生まれたと考えられている[16]。紀元前1000年頃に編纂された星表が刻まれている紀元前500年頃に製作された古代メソポタミアの粘土板資料『ムル・アピン』には、現在のうお座の原型となったと思われる2つの星座が刻まれていた。西側の魚に相当する部分はシュメール語で「ツバメ」を意味する MUL Sim-mah[17]、北側の魚に相当する部分は「天の貴婦人」を意味する MUL Anunītum[18]と、それぞれ別の星座と見なされていた。この2つの星座の占める領域は現在のうお座よりもはるかに大きく、ペガススの大四辺形を東西南の三方向から囲むような形をしていたと考えられている[16]。のちにこれら2つの星座は、紐で繋がれた2匹の魚の星座 MUL Kun-meš と見なされるようになった[19][20][注 1]。2匹の魚から伸びる紐は、チグリス川とユーフラテス川を表し、2本の紐が繋がる結び目は2本の川が合流してシャトルアラブ川となることを表しているとされる[19][20]。また、2匹の魚の間に位置するペガススの大四辺形は、2本の川の間にあるバビロン、あるいは農地を表していたと考えられている[20]。この「尾を繋がれた2匹の魚」という意匠が地中海世界に伝わった正確な時期は不明だが、『ムル・アピン』が作られた紀元前500年頃から程なくしてギリシアに伝わり受容されたものと考えられている[21]。紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスは、詩篇『パイノメナ (古希: Φαινόμενα)』の中でおひつじ座の西側にある星座としてうお座を以下のように著している[22][23]。
アラートスはこの星座を「魚」を意味する言葉の複数形である Ἰχθύες と呼んでいた[23]。アラートスが「天の結び目」と呼んだ2匹の魚を繋ぐ紐の結び目にある星は現在のうお座α星だが、この星は見かけの明るさ 4.11 等と暗く、アラートスが言うほど「美しくかつ明るい星」ではない[22]。
うお座には明るく目立つ星は1つもないが、古代ギリシア・ローマ期から多くの星が属するとされた。紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの天文書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』では39個、1世紀初頭の古代ローマの著作家ヒュギーヌスの天文書『天文学について (羅: De Astronomica)』では41個、帝政ローマ期2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスの天文書『マテーマティケー・シュンタクシス (古希: Μαθηματικὴ σύνταξις)』、いわゆる『アルマゲスト』では34個の星と「星座を形作らない星」が4個あるとされていた[24][25][26]。『アルマゲスト』を元に10世紀頃のイラン・ブワイフ朝の天文学者アブドゥッ=ラフマーン・アッ=スーフィーが著した天文書『星座の書 (كتاب صور الكواكب الثابتة Kitāb ṣuwar al-kawākib aṯ-ṯābita / al-thābita)』では、al-Samakatān または al-Ḥūtという名称が使われ、34個の星と4個の「星座を作らない星」があるとされた[27]。
近世 - 現代

16世紀ドイツの法律家ヨハン・バイエルは、1603年に刊行した星図『ウラノメトリア』の中で PISCES というラテン語の星座名を記し、うお座の星に対して α から ω までのギリシャ文字24個とラテン文字12個を用いて37個の星に符号を付した[28][29][30][注 3]。バイエルは、プトレマイオスが「星座を作らない星」とした ω の南で平行四辺形のように並ぶ4個の星をうお座から除外し、どこの星座にも属さない星とした[28][29][30]。

17世紀末から19世紀初めには、うお座の各部に名称を付けようとする動きがあった。ポーランド生まれの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスが編纂し、彼の死後の1690年に刊行された天文書『Prodromus Astronomiae』に収められた星図『Firmamentum Sobiescianum』では、うお座の2匹の魚とそれらを繋ぐ紐にそれぞれに名称が付けられていた[31]。ヘヴェリウスは、北の魚に Piſcis Boreus、南の魚に Piſcis Auſtrinus、北の紐に Linum Boreum、南の紐に Linum Auſtrinum と名前を付けた[31]。これは、ヘヴェリウスにうお座を分割する意図があった訳ではなく、Pisces という1つの星座の各構成要素に呼称を付けたものであった[31]。一方、18世紀末ドイツの天文学者ヨハン・ボーデは、星図『Uranographia』(1801) の中で、北の魚に Piscis Borealis、南の魚に Piscis Australis 、魚を結ぶ紐に Linum Piscium と名称を付していた[31]。しかし、ヘヴェリウスと同じくボーデもまたうお座を分割する意図があった訳ではなく、同年に刊行した星表『Allgemeine Beschreibung und Nachweisung der Gestirne』(1801) では星座全体を単に Pisces としていた[32]。
1922年5月にローマで開催された国際天文学連合 (IAU) の設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Pisces、略称は Psc と正式に定められた[33][34]。
中国
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、うお座の星々は二十八宿の北方玄武七宿の第六宿「室宿」、第七宿「壁宿」、西方白虎第一宿「奎宿」、第二宿「婁宿」に配されていた[35][36]。
神話

ギリシアの伝承において魚が重要な役割を果たすことがほとんどなかったため、魚をモチーフとする2つの星座、うお座とみなみのうお座の伝承は地中海世界ではなく中東に求められた[37]。紀元前3世紀のギリシャ人学者エラトステネースの著書『カタステリスモイ』では、シリアの女神デルケトーが誤ってマンビジ近くの湖に落ちたときに、彼女を助けた魚が天に上げられたとする神話を伝えている[2][38][39]。この神話では、デルケトーを助けた魚はみなみのうお座で、うお座の2匹の魚はその子供であるとしている[2][38][39]。
紀元前1世紀の著述家ヒュギーヌスは著書『天文学について』の中で、紀元前4世紀以降の歴史家エリトリアのディオグネトスの伝える話として、美の女神アプロディーテーとその子エロースにまつわる神話を紹介している[24][37]。この神話では、ユーフラテス川のほとりを訪れたアプロディーテーとエロースの前に突然怪物テューポーンが現れ、驚いた2人は川に飛び込み、魚に姿を変えて逃げた、とされる[2][38]。古代ギリシアでは、シリアの女神デルケトーとアプロディーテーが同一視されていたとされており、アプロディーテーがこの物語のヒロインに選ばれたのもそのためであると考えられている[37]。紀元1世紀に活動した古代ローマの詩人マルクス・マーニーリウスも占星術書『アストロノミカ』の中で、テューポーンから逃れてバビロニアの川に飛び込んだアプロディーテーが魚に姿を変えて難を逃れた、とする話を紹介している[37][40]。紀元前1世紀から紀元1世紀頃の古代ローマの詩人オウィディウスの『祭暦』では、川に飛び込んだアプロディーテーとエロースが魚に救われる、とする話が紹介されている[37]。またヒュギーヌスは著書『神話集 (Fabulae)』の中で、ユーフラテス川に落ちた鳩の卵を助けた2匹の魚をアプロディーテーが記念して星座とした、とする話も伝えている[2][38]。
呼称と方言
学名
ラテン語の学名は Pisces、属格は Piscium、略称は Psc と定められている[33][34]。Pisces は、魚を意味する Piscis の複数形となっており、これはこの星座が2匹の魚と見做されていたことに由来している[41]。Pisces に対応する日本語の学術用語としての星座名は「うお」と定められている[42]。現代の中国では双魚座[43][44]と呼ばれる。
日本語名の変遷
明治初期の1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』では、「ピッセス」という読みと「雙魚」という説明で紹介された[45]。また、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』では訳語が充てられず、上巻で「ピッセス」というラテン語と「ヒッシェス」という英語読みが[46]、下巻で「雙魚宿(ヒスセス)」と星座名が紹介されたのみであった[47]。これらから30年ほど時代を下った明治後期には「雙魚」という呼称が使われていたことが日本天文学会の会報『天文月報』の第1巻5号掲載の「八月の天」と題した記事中の星図で確認できる[48]。この「雙魚」という呼称は、1910年(明治43年)に訳語が改訂された際に「魚」に変更された[49]。その後、1925年に初版が刊行された『理科年表』では、初版から1950年(昭和25年)3月刊行の第23冊まで「魚(うを)」[50][51]、同年12月刊行の第24冊からは現代仮名遣いに改められた「魚(うお)」の表記が使用された[52]。そして、1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[53]とした際に、ひらがなで「うお」と定められ[54]、以降この呼称が継続して用いられている[42]。
主な天体
恒星
2025年12月現在、国際天文学連合の恒星の命名に関するワーキンググループ(IAU WGSN) によって9個の恒星に固有名が認証されている[55]。
- α星
- 太陽系から約165 光年の距離にある連星系[56][57]。見かけの明るさ 4.11 等、スペクトル型 kA0hA7Sr の A[58]と、5.135 等で kA2hF2mF2(IV) の B[59]が、約933.05 年の周期で互いの共通重心を公転していると考えられている[60]。A から405″離れた位置に見える 8.25 等の C も A・B と重力で相互作用していると見られている[57]。
- A星には、アラビア語で「ひも」を意味する言葉 al-rishā’に由来する[61]「アルリシャ[9](Alrescha[55])」という固有名が認証されている。
- β星
- 太陽系から約405 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.52 等、スペクトル型 B6Ve のB型主系列星で、5等星[62]。サークレットの西、西の魚の口の位置に見える。アラビア語で「魚の口」を意味する言葉 fum al-samakah に由来する[55]「フムアルサマカ[9](Fumalsamakah[55])」という固有名が認証されている。
- ζ星
- 太陽系から約133 光年の距離にある連星系[63]。
- η星
- 太陽系から約271 光年の距離にある連星系。肉眼では単独の 3.620 等の星として見え[11]、うお座で最も明るく見える。3.83 等の A と 7.51 等の B が互いの共通重心を約850.5 年の周期で公転しているとされる[67][68]。A星には1923年にイギリスの占星術師 ヴィヴィアン・ロブソンが著書『The Fixed Stars and Constellations』で紹介した[69]「アルフェルグ[9](Alpherg[55])」という固有名が認証されている。
- ο星
- 太陽系から約260 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.26 等、スペクトル型 G8III の黄色巨星で、4等星[70]。1515年刊行のラテン語訳『アルマゲスト』に書かれた「北のワインプレス」を意味する Torcularis septentrionalis という名称を短略した[55]「トルクラー[9](Torcular[55])」という固有名が認証されている。
- HD 1502
- 太陽系から約627 光年の距離にある、見かけの明るさ 8.35 等、スペクトル型 K0 の8等星[71]。2011年、ドップラー分光法による観測によって、主星から1.262±0.092 au(天文単位)離れた軌道を428.5±1.2 日の周期で公転する2.75±0.16 MJ(木星質量)の太陽系外惑星が発見された[72][73]。2019年に開催された IAU の100周年記念行事「IAU100 NameExoWorlds」でハイチ共和国に命名権が与えられ、主星はユネスコの世界遺産に登録されているハイチ独立後に建てられた要塞の名前にちなんだ Citadelle、太陽系外惑星はハイチが初の黒人共和国となった1804年1月1日の独立宣言にちなんだ Indépendance と命名された[74]。
- HD 8574
- 太陽系から約146 光年の距離にある、見かけの明るさ 7.12 等[75]、スペクトル型 F8 の7等星[76]。2003年、ドップラー分光法による観測によって、主星から0.77 au 離れた軌道を227.55±0.77 日の周期で公転する2.11 MJの太陽系外惑星が発見された[75][77]。「IAU100 NameExoworlds」でフランスに命名権が与えられ、主星・系外惑星ともガリア人の神話の神にちなむ名前が付けられた[74]。主星は光や太陽、健康の神の名にちなんだ Bélénos、太陽系外惑星は炉と冶金、ガラス細工に関係する火の女神の名にちなんだ Bélisama と命名された[74]。
- HD 218566
- 太陽系から約94 光年の距離にある、見かけの明るさ 9.208 等、スペクトル型 K3V のK型主系列星で、9等星[78]。2010年、ドップラー分光法による観測によって、主星から0.6873±0.0008 au離れた軌道を225.7±0.4 日の周期で公転する0.21±0.02 MJの太陽系外惑星が発見された[79][80]。「IAU100 NameExoworlds」でシリア・アラブ共和国に命名権が与えられ、主星は紀元前3千年紀から紀元前2千年紀にかけて重要な地域となっていたシリア最古の王国の1つ「エブラ」にちなんだ Ebla、太陽系外惑星は紀元前1400年頃にウガリット文字が考案された都市ウガリットにちなんだ Ugarit と命名された[74]。
- WASP-32
- 太陽系から約913 光年の距離にある、見かけの明るさ 11.26 等の12等星[81]。2010年、トランジット法による観測によって、主星から0.0394±0.0003 au離れた軌道を2.71865±0.00008 日の周期で公転する3.60±0.07 MJの太陽系外惑星が発見された[82][83]。「IAU100 NameExoworlds」でシンガポール共和国に命名権が与えられ、主星はラテン語でシンガポールの独立闘争を象徴する「小さなライオン」を意味する言葉にちなんだ Parumleo、太陽系外惑星はラテン語でシンガポール人の精神を体現する「小さな村」を意味する言葉にちなんだ Viculus と命名された[74]。
上記以外に知られている恒星には以下のものがある。
- γ星
- 太陽系から約135 光年の距離にある、見かけの明るさ 3.70 等、スペクトル型 G9III:Fe-2 の巨星で、4等星[84]。うお座で2番目に明るく見える。2021年、主星から1.32+0.05
−0.08 au離れた軌道を555.1+6.0
−2.5 日の周期で公転する1.34+0.02
−0.31 MJの太陽系外惑星が発見された[85][86]。 - ウォルフ 28
- 太陽系から約14.07 光年の距離にある、見かけの明るさ 12.374 等、スペクトル型 DZ7.5 の白色矮星[87]。1917年にこの星を発見したオランダ系アメリカ人天文学者エイドリアン・ファン・マーネンの名前を取って「ヴァン・マーネン星 (van Maanen's Star)」とも呼ばれる[88][89]。エリダヌス座ο2B、おおいぬ座αBに次いで史上3番目に発見された白色矮星で、おおいぬ座αB、こいぬ座αB に次いで太陽系に3番目に近い位置にある[88]。また、他の天体と連星の関係にない単独星として初めて発見された白色矮星でもあり[89]、単独星の白色矮星としては太陽系に最も近い位置にある[90]。
星団・星雲・銀河
18世紀フランスの天文学者シャルル・メシエが編纂した『メシエカタログ』に渦巻銀河が1つ挙げられている[6]。一方、パトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」には1つの天体も選ばれていない[91]。
- M 74
- 天の川銀河から約2380万 光年の距離にある渦巻銀河[92]。1780年9月末頃にフランスの天文学者ピエール・メシャンが発見した[93]。銀河の形態分類では渦巻腕の巻き込みが緩い Sc 型に分類されており[92][93]、顕著ではっきりと見える渦巻腕を持つ「グランドデザイン渦巻銀河」の典型例とされる[93]。天の川銀河からは銀河円盤の核が恒星状に見え、円盤部と渦巻腕の表面輝度がかなり低いため、観測条件が悪いと見つけることが難しい[8][93]。
- 2002年1月29日には日本のアマチュア天文家広瀬洋治によって M 74 の外縁部に生じた超新星 SN 2002ap が発見された[94][95]。追観測の結果から SN 2002ap は太陽の40倍の質量を持つ恒星が超新星爆発した「極超新星 (英: Hypernova)」であると考えられている[94][95]。
- NGC 474
- 天の川銀河から約1億 光年の距離にある楕円銀河[96][97]。楕円銀河としては珍しく複雑な殻構造を持っており、これらは過去10億年以内に起きた銀河合体、あるいは矮小銀河との密接な相互作用の結果生じたものと考えられている[96][97]。
- NGC 520
- 天の川銀河から約9850万 光年の距離にある衝突銀河[98][99]。3億年前に衝突し始めた2つの円盤銀河が合体していく過程にある[99]。円盤部分はすでに合体しているが、銀河核はまだ合体していない[99]。
- LEDA 1313424
- 天の川銀河から約5億6700万 光年の距離にある衝突銀河[100]。天の川銀河の約2.5倍にあたる約25万 光年の直径を持つ大きな銀河で、矮小銀河に中心部を射抜かれたような姿をしており、イェール大学の Imad Pasha らの研究チームは「ブルズアイ (Bullseye)」という愛称を付けている[100][101]。約5000万年前に矮小銀河が LEDA 1313424 の中心核を突き抜けていったことによって、複雑な9つのリング構造を持つに至ったと考えられている[101]。
- ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡 (JWST) の撮像(左上)とハッブル宇宙望遠鏡 (HST) の撮像(右下)を比較した渦巻銀河M 74の画像。赤外線波長で撮像された JWST の画像では、ガスや塵がオレンジから赤色で鮮明に描き出されている。一方、可視光波長で撮像された HST の画像では、ガスや塵は暗い筋として映し出され、ピンク色に輝く光点として星形成領域が描き出されている[102]。
- 南米チリセロ・トロロ山頂のセロ・トロロ汎米天文台に設置された口径4メートルのビクター・M・ブランコ望遠鏡で撮影された楕円銀河NGC 474(中央)と渦巻銀河NGC 470(左側)[97]。楕円銀河としては珍しい複雑な殻構造が見られる。