覇上
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歴史
覇上が明確に文献上に現れるのは戦国時代後期からで、『史記』王翦列伝には「始皇自送至灞上」と記録されている。『漢書』高帝紀には「沛公軍霸上」とあり、沛公劉邦が率いる反乱軍が武関を突破して覇上に駐屯したことが記録されている。
秦末の蜂起では、紀元前206年に劉邦が大軍を率いて覇上に進駐し、秦王子嬰に降伏勧告を発すると、子嬰は降伏し、秦は滅亡した。漢王朝においては、史書に覇上に関する記録が頻繁に見られ、それは漢代以降も同様である。 中でも霸上での迎送がよく見られる。歴史上の数多くの戦例が示すように、覇上の得失は王朝の安危に極めて重要な意味を持っていた。
五代十国時代以降、政治・経済・交通の中心が東方に移るにつれて長安はその存在感を薄めていき、覇上の要衝としての重要性も低下していった。