親衛隊 (ソ連・独立国家共同体)
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ロシア革命
ソビエト連邦時代

ソビエト親衛隊(Советская Гвардия)は、ナチス・ドイツの親衛隊とは異なり[1]、既存の赤軍またはソビエト連邦軍の部隊のうち、第二次世界大戦の祖国防衛の戦いにおいて顕著な戦功を挙げたものに付与された名誉称号である。訳語としてはソビエトを訳さずに「親衛」とのみ表記される場合が多い。
この称号はエリニャ攻勢の戦功に対して、ソビエト連邦軍最高総司令部の決定で国防人民委員令第308号により、1941年9月に最初に付与された。1942年5月からは個人にも称号「親衛」が授与され、例えば、ミロシニチェンコ親衛中尉というようにその階級に冠された。
第100、127、153、161狙撃師団がそれぞれ、第1、2、3、4親衛狙撃師団へと称号が冠された。また、1941年11月18日には第316狙撃師団が第8親衛狙撃師団に変更された。
1941年12月31日までに、第107、120、64、316、78、52狙撃師団がそれぞれ、第5から第10親衛狙撃師団へと変更された[2]。そして、1943年12月に20個の旅団が第11から16親衛狙撃師団に改称された[3]。
スターリングラード攻防戦で最後までスターリングラードを守り抜いたワシーリー・チュイコフ中将率いるスターリングラード方面軍第62軍は特段の戦功故に第8親衛軍と改名され、その栄誉が称えられた(Soviet 8th Guards Army)。ワシーリー・チュイコフはベルリンの戦いにおいてもベルリン防衛司令官ヴァイトリング大将が降伏交渉相手とした将軍としても有名である。
「親衛」の称号を付与された部隊は、ソビエト最高会議幹部会の決定により特別の親衛徽章を受けた。1942年5月21日、最高会議は右胸に付ける親衛隊胸章を導入し、1943年6月には陸軍用に、1944年12月には海軍用に導入した。また、部隊の装備や将兵の待遇においても優遇された。



