読谷山洋司
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宮崎県延岡市緑ケ丘生まれ。父は、旭化成工業(現・旭化成)代表取締役副社長を務め[2]、1988年に紫綬褒章を受章した[3]読谷山昭(1929年 - 2010年)
延岡市立緑ヶ丘小学校卒業。延岡市立南中学校3年生の時に、父親の転勤で東京都へ転居。品川区立荏原第一中学校、芝高等学校卒業。1986年(昭和61年)3月、東京大学経済学部卒業。同年4月、自治省に入省[4]。
2005年(平成17年)、愛媛県総務部長に就任。2008年(平成20年)、内閣府参事官及び内閣官房内閣参事官に就任。2010年(平成22年)、岡山市副市長に就任。
2012年(平成24年)1月、岡山市副市長及び総務省を辞職し、延岡市に帰郷。行政書士として県民の相談に応じるほか事業者の支援などを行う[5]。
2013年3月、子育て支援会社・株式会社アレーテライフイノベーションを起業し、室内公園「こどもーる」を経営。
2016年(平成28年)、第24回参議院議員通常選挙宮崎県選挙区に向けた自民党県連の候補予定者の公募に2度応募するも選ばれなかった[6]。同年7月の参院選に民進党と社民党の推薦を受けて無所属で出馬し落選。
2017年(平成29年)1月27日、翌年に任期満了する延岡市長選挙に立候補する意向を表明[6]。
2018年(平成30年)1月28日に行われた延岡市長選挙で、前職の首藤正治市長の事実上の後継指名を受けた元県職員の永山英也を567票差で破り初当選を果たした。永山は自民党延岡支部・公明党・民進党・連合宮崎など500超の団体の推薦を集めて組織戦を展開し、盤石の布陣で臨んだが及ばなかった[7][8]。2月26日、市長就任。選挙の結果は以下のとおり。 ※当日有権者数:104,500人 最終投票率:49.68%(前回比:pts)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 読谷山洋司 | 53 | 無所属 | 新 | 26,094票 | 50.55% | |
| 永山英也 | 60 | 無所属 | 新 | 25,527票 | 49.45% | (推薦)自民党延岡支部・公明党・民進党・連合宮崎 |
2022年(令和4年)1月23日の市長選挙で、自民・公明の推薦を受けた元県議の内田理佐を破り、再選[9]。 ※当日有権者数:100,444人 最終投票率:55.98%(前回比:+6.3pts)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 読谷山洋司 | 57 | 無所属 | 現 | 31,760票 | 56.87% | |
| 内田理佐 | 47 | 無所属 | 新 | 24,088票 | 43.13% | (推薦)自民党・公明党 |
2025年6月2日、『健康上の理由により、今月末日(6月30日)付で市長を辞職する』ことを記者会見にて発表[10]。読谷山によれば「同年3月の定例議会の頃に咳が出るようになり、病院で検査を受けた際に肺と膵臓に腫瘍が発見された」とし、医師より「早期に治療に専念されたい」という助言を受けたことなどもあり、2026年2月の2期目の任期切れを待たずに辞職することを決断したことを明らかにしている[10]。
市長選挙では政党や団体などから支援をもらわず、有権者と直接つながる形を構築。議員も本来は市長のチェック役なので常につるまず適切な距離を保ち続けるという、しがらみのない選挙・市政を貫き続けた[11]。 また「移動市役所」や「出前市長室~はよ来ね、市長~」などで市民との意見交換を数多く行い、「延岡市政策等形成過程における市民等参加条例(パブリックコメント条例)」を制定・駆使するなど、徹底した「市民目線改革」を続けた[12]。
なお、読谷山家は琉球王国第13代国王・尚敬の第二王子・読谷山王子朝恒(尚和、後に朝憲)を家祖とする王族で[13]、読谷山御殿(ゆんたんざ うどぅん)と呼ばれ(御殿(うどぅん)とは王族のこと)、墓は那覇市指定文化財である[14]。