足柄山で源義光から秘伝の曲を伝授される豊原時秋(楊洲周延『日本歴史教訓画』)
寛治元年(1087年)新羅三郎こと源義光は後三年の役を戦う兄・義家を救援すべくため東上するが、時秋はこの後を追い、相模国足柄山にて戦場への同行を申し出る。義光は時秋の亡父時元の笙の弟子であり、時元より笙の秘伝の一曲『大食調入詞』を授けられていたが、幼くして父と死別した時秋はこの時までその曲を知らぬままでいた。義光は自らの戦死によって秘曲を伝える者が絶えることを惜しみ、ここで時秋に同曲を授け後事を託す。時秋はやむなく義光の説得を受け入れ、都に引き返したという[1]。
以上は『古今著聞集』巻6などに見える逸話であり、伝統を受け継ぐ者の心意気を伝える美談として史上に名高い。しかしながら、時秋の生年などから、実際に義光が師事したのは時光、戦場に赴く際に別れたのは時元と一代ずつ前であり、またその場所も足柄山ではなく逢坂関であったとする説が現在では有力である。