賈敦実 From Wikipedia, the free encyclopedia 賈 敦実(か とんじつ、生年不詳 - 688年)は、唐代の官僚。本貫は曹州冤句県[1][2]。 貞観年間、饒陽県令となり、閑静な統治で知られた。咸亨元年(670年)、洛州長史に転じた。ときに洛陽県令の楊徳幹がたびたび民衆や官吏を罪に落として杖殺していたため、敦実は楊徳幹を抑えて止めさせた。民衆が敦実の善政を称えて、常棣碑を建てた。咸亨4年(673年)、敦実は太子右庶子に転じた[3][4]。 調露2年(680年)、敦実は懐州刺史となった。永淳元年(682年)、老齢のため致仕した。垂拱4年(688年)、死去した[5][4]。 家族 祖父:賈曁(北斉の済陰郡太守) 父:賈式(隋の済陰郡功曹・鄱陽郡司功書佐) 兄:賈敦頤[1][2] 子:賈膺福(左散騎常侍・昭文館学士、竇懐貞らに連座して処刑された)[5][4] 脚注 1 2 旧唐書 1975, p. 4788. 1 2 新唐書 1975, p. 5622. ↑ 旧唐書 1975, p. 4788-4789. 1 2 3 新唐書 1975, p. 5623. 1 2 旧唐書 1975, p. 4789. 伝記資料 『旧唐書』巻185上 列伝第135上 『新唐書』巻197 列伝第122 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles