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賈耽

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賈 耽(か たん、開元18年(730年) - 永貞元年10月2日(805年10月27日))は、唐の政治家。字は敦詩。諡は元靖。滄州南皮県の出身。国内外の地図や地理書を編纂したことで知られる。父は賈琰之。子は賈疇・賈疄・賈㽥。『新唐書』巻七十五・表第十五下・宰相世系五下によれば魏の大尉賈詡の直系子孫である。ただし鄭余慶『左僕射賈耽神道碑』では先祖について記さない。

天宝10載(751年)に科挙の明経科に合格して[1][2]貝州臨清県尉の任についた。その後山南西道節度使・山南東道節度使などを経て、貞元9年(793年)には右僕射・同中書門下平章事(宰相に相当)の職にのぼり、魏国公に封ぜられた。没するまで13年間にわたって宰相職にあった[3]。

賈耽は地理学を好み、外国からの使者や外国から帰った者からその土地の情報を得た。おそらく興元元年(784年)に『大唐国要図』5巻を編纂した[4]。貞元14年(798年)に『関中隴右及山南九州等図』1軸および図に附属する『別録』6巻・『吐蕃黄河録』4巻[5]を編纂した[1]。貞元17年(801年)にはまた『海内華夷図』および『古今郡国県道四夷述』40巻を編纂した。『海内華夷図』は100里を1寸で表し、幅3丈、高さ3丈3尺だった[3](唐の1里は1800尺だったため、縮尺180万分の1の地図ということになる)。貞元18年(802年)には『貞元十道録』を編纂した[2][6]。

永貞元年(805年)に没した。享年は76。没後に元靖の諡を贈られた[3]。

著書

脚注

参考文献

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