賤機山城
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市内を南北に流れる安倍川の左岸に沿うように伸びる賤機山(標高171メートル)山頂にある。築城年代は駿河の守護・今川範政が駿府に入った1411年(応永18年)ごろとされるが、さらに古いとする意見もある[1]。
馬の背状の尾根最上部に本曲輪を構え、櫓台や土塁が配置されている。南北の尾根にも複数の曲輪があり、狭い尾根筋には堀切を設けて遮断し防御性を高めている。本曲輪のある山頂は今川館(後の駿府城)の北西、今川氏の菩提寺である臨済寺の真裏にあたり、詰の城であったとされている[1]。
『甲陽軍鑑』等の史料では「籠鼻」や「籠山」の名で登場し、武田信玄が駿河を侵攻した1568年(永禄11年)の12月13日に武田勢に占拠されて落城。この時、武田側により一部改修が加えられた可能性が指摘されている[2]。その後さらに1582年(天正10年)の徳川家康入府の際に再び落城し、廃城となったという[1]。
現在の賤機山は市街地に程近いハイキングコースとなっており、曲輪や堀切などの遺構を見ることが出来る。

