赤星有隆 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代中期生誕 生年不明死没 嘉暦2年(1327年)7月3日別名 通称:三郎入道宗愚[1] 凡例赤星有隆時代 鎌倉時代中期生誕 生年不明死没 嘉暦2年(1327年)7月3日別名 通称:三郎入道宗愚[1]墓所 熊本県菊池市西福寺氏族 赤星氏父母 父:菊池隆泰兄弟 菊池直隆、菊池頼隆、菊池武房、有隆、若宮隆顕、菊池隆冬、菊池康成、菊池重宗子 隆鍰、遠基、女子(菊池武時室)テンプレートを表示 赤星 有隆(あかほし ありたか、生年不詳~嘉暦2年(1327年)7月3日没)は、鎌倉時代中期の武将。肥後赤星氏初代当主。 文永11年(1274年)に勃発した文永の役で、三兄の菊池武房と共に参陣して、筑前国那珂郡赤坂にまで侵軍して来た大元帝国軍を破って撃退した事に由り、武功を挙げた(赤坂の戦い)[1]。 赤星有隆に付いては、嘉暦2年(1327年)7月3日に死去した[2]。 死去後 後醍醐天皇の命に由り、子の赤星遠基が、娘婿の菊池武時に従い、正慶2年/元弘3年(1333年)3月13日に、鎮西探題の赤橋英時を攻めるが、返り討ちに遭った事に由り、敗れて討死した[1][3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『赤星有隆』 - コトバンク ↑ 『参考文献・赤星一族』では、赤星有隆に付いては、嘉暦2年(1327年)7月3日に死去した事が記載されている。 ↑ 『参考文献・赤星一族』では、赤星遠基に付いては、元弘3年(1333年)3月に、討死した事が記載されている。 参考文献 赤星一族(発行所・日本家系家紋研究所、発売元・日本家系協会、1981年12月) 外部リンク 日本の古本屋 - 赤星一族 赤星一族・表紙←URL番号が26020250なので、参考文献の記載事項に付いての確認が可能。 赤星一族・家系図←赤星有隆に付いては、嘉暦2年(1327年)7月3日に死去した事が記載されている。 赤星一族・限定300部102←昭和56年(1981年)12月吉日発行だと記載されている。 関連項目 菊池武房 文永の役 弘安の役 赤星氏 Related Articles