赤星氏
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主家の菊池氏の滅亡後
重臣隈部氏との敵対関係
弘治2年(1556年)に、同族の木野親政が死去して、木野氏が断絶した事に由り、木野氏遺領を赤星道雲が相続した。
木野氏遺領の一部を欲しがった隈部親永が、佐賀の龍造寺氏と同盟した事で、庶流赤星氏と重臣隈部氏が敵対して行く事に成る。
永禄2年(1559年)に、隈部親永の600の軍勢に、木野氏遺領を侵軍されたので、赤星道雲は1500の軍勢を率いて迎え撃ったが、合勢川の戦いで大敗した。
永禄4年(1561年)に、赤星道雲の死去した後は、嫡男の赤星親隆が菊池郡隈府城城主となる。
天正9年(1581年)に、龍造寺氏の支援を受けた重臣隈部氏に、本拠地と成って居た菊池郡隈府城を奪われた。
赤星親隆に付いては、嫡男の赤星統家と共に、叔父の合志親賢の合志郡竹迫城に身を寄せた[4][5][6][7]。
赤星親隆の嫡男の、赤星統家に付いては、三男の赤星三郎と、娘の赤星安子を人質として、龍造寺氏に差し出して、臣従している[8][9]。
天正11年(1583年)には、龍造寺氏に命じられた佐賀への参例を幾度も無視した事に由り、『疑心有り』と見做されて、人質として差し出していた三男と娘に付いては、山門郡竹井原で処刑されている[10][11][12][13][14]。