趙姫 (荘襄王)
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史書によると趙の出身であった(そのために趙姫と呼ばれた)。彼女は趙の豪族の娘で、後に当時は商人であった呂不韋の妾となったが、秦の王子であった子楚(後の荘襄王)に乞われて、自分の妾であることを隠して妃として差し出した。昭襄王48年(紀元前259年)に政(後の始皇帝)を生んだが、呂不韋との間に既に子を宿していたとも言われる。
孝文王元年(紀元前250年)、秦に入国した。荘襄王元年(紀元前249年)に子楚の即位に伴い王后、秦王政元年(紀元前246年)に荘襄王が薨去して政が秦王になると王太后となった。『史記』などによれば彼女は淫乱とされており、秦の丞相に就任していた呂不韋や偽宦官として後宮に入った嫪毐と密通し、嫪毐との間には2人の息子が生まれた。ただし、これらは事実でないとも、当時の秦の道徳観では問題がない行為という説もある。
秦王政9年(紀元前238年)、嫪毐がクーデターを決行したが失敗すると、激怒した政により嫪毐および嫪毐との間の2人の息子は処刑され、彼女は雍城に幽閉された。後に許され王城に戻った。
秦王政19年(紀元前228年)に薨去し、帝太后を追号された。享年53。