秦・始皇帝

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秦・始皇帝』(しん・しこうてい、英題:The Great Wall[1])は、1962年昭和37年)11月1日に公開された日本映画[1][2][3]。製作は大映[2][3]大映東京撮影所[1])、配給は大映[2]。監督は田中重雄、主演は勝新太郎

製作費は5億円[2](5億4,100万円[4])。上映時間は200分[1][注釈 2]。カラー、70mmワイド[3]

大秦帝国始皇帝の生涯を、当時の大映のスターを集めて映画化した大映創立20周年の超大作作品[4][2]。大映では『釈迦』(1961年)に続いて2作目となる70ミリ映画である[5][2]。国際市場を意識し、始皇帝を暴君ネロ風に描いている[1]

欧米でも公開されており[1]ドイツ版ポスターデザインは『ベン・ハー』を模している。[要出典]しかし、興行的には成功とは言えず、以後の大映では70ミリ映画は制作されなかった[1][2][注釈 3]

ストーリー

紀元前221年、数百年続いた戦乱の世を経て、皇・は史上初めて中国を統一し、自らを始皇帝(史上初の皇帝)と名乗った[2]。始皇帝は、「広大な領土の統治にはこれまでの封建制ではなく、郡県制を施行すべき」との李斯の進言を採用し、強固な中央集権体制を確立する。

しかし、始皇帝が道路建設のため都を離れている間に北の蛮族が襲撃し、都は破壊され妃を殺害されてしまう[2]。これにより、外敵に対抗するため万里の長城の建設を開始するが、莫大な労力と資金を費やすため国民の生活は疲弊していった[2]。始皇帝の圧政に忠言した儒学者は弾圧され、長城建設を進めるため人柱が立てられるが、生贄の怨念により天変地異が巻き起こる[2]

登場人物

趙政(せい)[注釈 4]
演 - 勝新太郎
大秦帝国の皇帝。史上初めて中国を統一し、始皇帝を名乗る。
朱貴児(しゅ きし)[1]
演 - 山本富士子
父の仇である政を殺そうとするが政に見初められ阿房宮に最初に入る妃となる。
後に政を深く愛するようになるが、政が戦で留守の間に北方の蛮族の襲撃を受けて死ぬ。
これが万里の長城を作るきっかけとなる。
太后(たいこう)[1]
演 - 山田五十鈴
政の母。呂不韋の妻[注釈 5]だったが先王の妃となる。そのときには既に政を身籠っていた。
呂不韋(ろふい)
演 - 河津清三郎
元商人の政治家。太后の元夫[注釈 5]で先王に妻を捧げた。政の実父。
嫪毐(ろうあい)
演 - 及福生
太后の愛人。呂不韋により宦官を装い後宮に送り込まれる。
太子丹(たいし たん)[1]
演 - 宇津井健
の王族。子供の頃、政と同じ人質として育ち、政を弟のように思っていた。
政が始皇帝となったことで激しく憎むようになり、執拗に政の命を狙う。
荊軻(けいか)[1]
演 - 市川雷蔵
燕の太子丹の命を受け、政を暗殺しようとした刺客
蘭英[1]
演 - 中村玉緒
荊軻の妻。(ちく、弦楽器)を奏でる。
田光(でんこう)
演 - 佐々木孝丸
丹の依頼で刺客として荊軻を推挙した後、自ら命を絶つ。
樊於期(はんおき)
演 - 石黒達也
燕に亡命して来た秦の元将軍。荊軻の暗殺計画のために自ら首を差し出す。
千越[1]
演 - 長谷川一夫
儒学者。始皇帝を公然と批判したことから生き埋めにされる。
芦生[1]
演 - 川崎敬三
儒学生。干越の弟子。
万喜良を逃がすために殺される。
萬喜良(ばんきりょう)[1]
演 - 川口浩
儒学生。干越の弟子。
孟姜女の肌をたまたま見たことから彼女と結婚するが万里の長城つくりの人夫として徴用され、後に人柱にされる。
孟姜女(もうきょうじょ)[1]
演 - 若尾文子
最初に肌を見せた男子と結婚するとの占いに従い、万喜良と結婚する。
人柱となった夫を嘆くと長城が崩れ落ちる。
徐福(じょふく)[1]
演 - 中村鴈治郎
不老長生の術を心得た高名な方士方術を行う者)。
李唐(りとう)[1]
演 - 東野英治郎
政が慕う老兵。政のためなら命をかける忠臣。政だけでなく仲間からも「オヤジ」と呼ばれている。
戦で左腕を失う。後に北方の蛮族からの襲撃で命を落とす。
李黒(りこく)[1]
演 - 本郷功次郎
李唐の息子。幼心にある部下思いの政の姿と暴君と呼ばれている始皇帝のどちらが真の姿であるかを確かめようと政に会いにいく途中、盗賊に襲われていた孟姜女を救う。その後、孟姜女が処刑されそうになった際には彼女の助命を政に乞う。
陳勝[1]
演 - 高松英郎

スタッフ

スタッフ(ノンクレジット)

※すべて宣材のみクレジット

  • 助監督:石井岩太郎、遠藤俊雄
  • 特撮スタッフ
    • 撮影:金子友三[1]
    • 照明:藤野慎一[1]
    • 製作主任:渡辺俊英

制作

『釈迦』の成功を受けて1961年内に本作品の制作が発表された[4]。発表当初は監督に市川崑を予定していたが、降板したとされる[4]

全長6キロメートル、幅8メートルにおよぶ万里の長城の一部の実物大セットが作られた[2]。大規模な戦闘シーンや都のオープンセットの撮影は台湾で行われ[2]、合戦シーンには台湾軍も動員している[1]。エキストラには延べ20万人が参加している[2]

大映京都撮影所で制作された『釈迦』に対し、本作品は大映東京撮影所で制作されたが、当時の大映東京の特撮技術は大映京都にはおよばなかったと評されている[5][注釈 8]

映像ソフト

脚注

参考文献

外部リンク

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