身代神社

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位置 北緯36度01分50.5秒 東経139度42分51.7秒 / 北緯36.030694度 東経139.714361度 / 36.030694; 139.714361 (身代神社)座標: 北緯36度01分50.5秒 東経139度42分51.7秒 / 北緯36.030694度 東経139.714361度 / 36.030694; 139.714361 (身代神社)
主祭神 素戔嗚命
社格 村社
身代神社
所在地 埼玉県南埼玉郡宮代町学園台1-17
位置 北緯36度01分50.5秒 東経139度42分51.7秒 / 北緯36.030694度 東経139.714361度 / 36.030694; 139.714361 (身代神社)座標: 北緯36度01分50.5秒 東経139度42分51.7秒 / 北緯36.030694度 東経139.714361度 / 36.030694; 139.714361 (身代神社)
主祭神 素戔嗚命
社格 村社
創建 仁治3年(1242年
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身代神社(このしろじんじゃ)は、埼玉県南埼玉郡宮代町神社。宮町の「」の由来となった神社である。

1242年仁治3年)3月に勧請された[1]別当寺だった「龍光院」の「身代山由来記」によれば、武蔵国足立郡大宮郷(現・埼玉県さいたま市大宮区)の氷川神社祭神である素戔嗚命と同じであり、その素戔嗚命が大蛇を退治して清々(すがすが)しさを感じたことから、当地を「須賀すが)」と命名したという。龍光院は本山派修験道の寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた[2]

1873年明治6年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた[2]

「このしろ」の由来

「身代」は身代金(みのしろきん)の例でもわかるように、通常は「みのしろ」と読み、江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』でも当社の「身代」を「みのしろ」としている[3]。しかし、当社は昔から「このしろ」と読んでいる。これは食用の海水魚コノシロ」に由来しており、次のような逸話が残されている[1][2]

ある時、某武将奥州に逃れる際に、その姫君が追手に捕まりそうになった。当時の村人はコノシロの魚を焼き、追手にその臭いを嗅がせ、「姫は既に亡くなり、荼毘に付している。」と説明した。コノシロを焼いた臭いは、遺体を焼く臭いに似ていた。追手は納得し、それ以上の追跡を諦めた。これにより姫は命拾いをした。姫はこれに感謝して当社を祀ったという。

交通アクセス

脚注

参考文献

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