辻本弘樹
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奈良県の智辯学園高では1年夏の県大会決勝で天理高を相手に完投で優勝。夏の甲子園では1回戦・東農大二高相手に好投するがサヨナラ負け[2]、140km超の速球が注目される。秋は近畿大会決勝で先発して9回を投げるが同点のまま降板して延長18回サヨナラ負け。2年春の甲子園は初戦で敗退。その後は故障に泣くが、1987年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。
1990年4月18日、対広島東洋カープ戦でプロ初登板を果たす。8回1死満塁で打者ウェイド・ロードンという厳しい状況であったが、併殺で切り抜けチームの勝利に貢献する。翌日の試合にも好投したのが評され、4月22日の対横浜大洋ホエールズ戦(横浜)では初先発を務めるが、投手の欠端光則に本塁打を喫するなど3回3失点で敗戦投手となった。
その後、持ち味であるクセ球を生かすためにサイドスローに転向するが、故障もあり結局プロ未勝利のまま1991年に現役を引退した。
その後は、2005年に社会人野球のウェルネス魚沼の投手コーチ、2006年から2007年はセガサミーで投手コーチを務めた。
2009年から2016年はジェイプロジェクトの監督、2017年より同部長兼GMを務める。2020年の7月1日付で前任の大石大二郎に代わり監督として再就任した[3]。その後は野球部長となった。