近所の景色

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『近所の景色』(きんじょのけしき)は、つげ義春による日本漫画作品。1981年昭和56年)10月に『カスタム・コミック』(日本文芸社)に発表された[1]

つげ義春44歳の時の作品。前年の1980年にはノイローゼが進行。不安のどん底に落ち込み、精神病院へ通院。病名は「不安神経症」で森田療法を受ける。1981年4月には久しぶりに家族で湯ヶ野下田など伊豆半島を旅行。漫画家としての将来を悲観し、古物商の免許を取得し「ピント商会」を設立。中古カメラの売買にも手を出したのもこの年である。その結果、ノイローゼはやや落ち着く。1980年には『窓の手』『日の戯れ』の2作品だけであったが、1981年にはこの作品のほか『少年』『雨の中の慾情』の3作品のほか随筆蒸発旅日記』を発表[2]

東京1950年代朝鮮部落。「弾圧反対」との看板が掲げられている。

この作品の主人公は前作『義男の青春』の義男が踏襲されており、つげ自身も「義男をちょっと変えただけ」と発言している。作品には朝鮮部落が登場し、ボロ家が多く描かれているが、これに関しつげは、主人公が崩れかかった貧しげな風景に惹かれることを描くのが主眼であって、在日朝鮮人そのものに焦点を当てたわけではない。朝鮮人を例に挙げているが、それ以外のあらゆる差別を生む社会の通俗的な意識への反発、それが貧しげな風物へ惹かれることと深い所でつながっているのだと説明している[2]

作中には梶井基次郎の『檸檬』の一節が登場するが、つげは文学風に日常の一コマという感じに仕上げることを意図し、そのためにラストの締めくくりもオチも付けなかった。そのため、これを一部の読者に作者の私生活と誤解されたが、つげは「創作を理解できず事実と誤解するのはやむを得ない。どんな読み方をされてもかまわないが、ときには誤解のままとんでもない反応が出ることがあるので、今後はこうした私小説風の手法はまずいかも」と述懐している[2]

権藤晋は、「貧しい生活」「侘しい風物」に惹かれるつげの心境はのちの『貧困旅行記』に出てくるが、そういう気持ちを最初に描いたのはこの作品だと指摘。さらにつげの「貧しい風物」への感慨は、梶井基次郎とはやや違うと指摘したのに対し、つげは「よくわからないが、この作品ではわりと軽く描いた方だ」と答え、さらに「そうしないと、『李さん一家』の李さんが社会から外されていることや、落ちこぼれの問題が出てしまう。この作品でも朝鮮部落は差別され社会から外されている。そこが主人公にとってはオアシスになっている。すると差別を肯定しているように誤解されるから言いにくいが、限定された境涯は一つの救いでもある」と説明した[2]

多摩川。つげ義春一家は多摩川付近に住んでおり、近くに在日朝鮮人集落が実在した。

作品で描かれた多摩川水害は、つげ一家が「ひなげし荘」に住んでいたころ(1973年頃)に実際にあり、特に川を見に行ったりということもなく、「日常になかにちょっとあったことを作品にちょこっと入れるのは作品をもっともらしく見せるための技術に過ぎない」と発言している[2]

作中に朝鮮人が雷魚を買っているシーンが登場するが、これは実際にあったことがヒントとなっており、どこかの防火用水に飼われていたのを目撃したもので、防火用水の浴槽ぴっちりに収まっており、感心したという。少年時代、ラーメン屋の友人と釣りに行き、雷魚を釣り、ラーメン屋の友人の父に料理をしてもらい、食べたフライがおいしかったことなども述懐している。また、ザリガニに向かって「死んでもらいやしょう」というセリフのシーンが挿入されているが、つげの子供時代にはたびたびザリガニ釣りを経験しており、ザリガニをにして雷魚を釣ったこともあるという。また、当時はカエルを殺したりと作中にあるような残酷な遊びをしていたとも述べている[2]

あらすじ

脚注

関連項目

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