近江谷左馬之介
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神奈川生まれ[3]。小牧近江(本名:近江谷駧)の長男[2]。1948年東京大学経済学部経済学科卒業[4]。東京大学社会科学研究所に勤務[3]。1949年6月-1952年3月東京大学社会科学研究所助手[5]。1955年6月九州大学経済学部助教授[3]。のち九州大学経済学部教授を経て[4][6]、『現代の世界』編集長[5]。
向坂逸郎の門下生で、社会主義協会に所属した。九大在職中の向坂が東京滞在中に自宅で開いていた『資本論』の研究会に参加していた[7]。1985年6月に社会党の綱領等基本問題検討委員会の新宣言作業小委員会が宣言草案「日本社会党の新宣言――愛と知と力のパフォーマンス」を取りまとめた際、社会主義協会は機関誌『社会主義』の緊急号外「日本社会党の新宣言(草案)批判」を発行し、近江谷『社会主義』編集長を委員長とする「『新宣言』に関する小委員会」作成の論文という形で「新宣言」を全面的に批判した[8]。1998年2月に佐藤保代表が召集した社会主義協会第31回総会に参加せず、同年3月に新社会党系の社会主義協会(いわゆる「再建協会」「坂牛協会」)の結成に参加し[9]、機関誌『科学的社会主義』の監修を塚本健とともに引き受けた[10]。
二村一夫によると、向坂逸郎の膨大な蔵書は、1985年7月に大原社研に寄贈される前に、洋書は近江谷左馬之介、和書は和気誠を中心に社会主義協会のメンバーによって目録が作成されていたため、短期間で仮目録が完成した[11]。