郷目貞繁
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寒河江氏の家臣で、物頭を務めたという。永正17年(1520年)6月に伊達稙宗が最上氏領の出羽国高擶城を攻めた際、捕虜の中に寒河江氏の家臣が7名おり[2]、その内の一人として「郷目右京進」の名が見出だせるのが文献上の初出である。捕虜として米沢、桑折で5年を過ごした後釈放され、大永4年(1524年)寒河江に戻る。
その後の消息は不明だが、絵の修業のため京に上った[3]。数年を経て寒河江に戻り寒河江氏の家臣の傍ら、画業に励む。
永禄8年(1565年)、京との繋がりからか、零落した政所代・蜷川親世が落ち延びて柴橋に逼塞し、永禄12年(1569年)に死去した。
画風
代表作
| 作品名 | 技法 | 形状・員数 | 所有者 | 年代 | 落款 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 瀟湘八景画巻 | 紙本墨画淡彩 | 1巻 | 個人蔵 | 享禄2年(1529年) | 江目右京貞繁(花押) | 山形県指定文化財(絵画) |
| 釈迦出山之図 | 絹本著色 | 3幅対 | 個人蔵 | 天文6年(1537年) | 3幅各々に款記「大江末葉郷目貞繁」、印章「江目」壺形朱文印 | 山形県指定文化財(絵画) |
| 神馬図絵馬 | 板絵貼著色 | 2面 | 慈恩寺(寒河江市) | 永禄元年(1558年)4月5日 | □目右京進貞繁 | 寒河江市指定文化財 |
| 神馬図絵馬 | 板絵著色 | 1面 | 若松寺(天童市) | 永禄6年(1563年)9月13日 | 寒河江内郷目右京進貞繁(花押) | 重要文化財。絵馬左上の墨書から、貞繁自身が妻女の菩提を弔うため奉納した事が判明する。 |
| 羅漢図 | 紙本著色 | 2幅 | 法体寺(天童市) | 印章「江目」壺形朱文印 | 寒河江市の長泉寺にも同様の羅漢図が1幅あり(市文)、元は「十六羅漢図」16幅で一具を成していたと考えられる。 | |