鄭韜光
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生まれて3日で、一子出身と銀章朱紱を賜った。成長すると、挙措が美しく、心爽やかで清浄であり、みだりに喜怒の感情を表さず、名誉と節操を堅持したことから、門閥貴族として称賛された。京兆府司録参軍から秘書郎・集賢院校理・太常寺博士・虞部員外郎・比部員外郎・司門郎中・戸部郎中・河南少尹・京兆少尹・太常寺少卿・諫議大夫・給事中を歴任した[1]。
後唐の同光2年(924年)[2]、韜光は帰休を求めたが、上表文に名を書き漏らしたため、責めを負って寧州司馬に左遷された[1]。長興元年(930年)、左散騎常侍に任じられた[3]。長興2年(931年)、工部侍郎となった。長興3年(932年)、礼部侍郎に転じた[4]。清泰元年(934年)8月、刑部侍郎に転じた[5]。11月、尚書右丞に任じられた[6]。清泰2年(935年)、尚書左丞となった[7]。後晋の天福2年(937年)、戸部尚書として致仕した[8]。天福5年(940年)7月[9]、病没した。享年は80。尚書右僕射の位を追贈された[10]。