出羽松山藩の世嗣だった酒井忠英の次男として誕生。幼名は亀之助。正室は新発田藩主・溝口直温の長女・政姫。
父・忠英が盲目で廃嫡されたため、松山藩3代藩主に就任した酒井忠休の養子となった。はじめ兄・忠郷が嫡子となったが夭折したため、代わって嫡子となった。しかし、実子を跡継ぎにしたい藩主・忠休との関係が悪く、家中も2つに分裂して「宝暦騒動」と呼ばれる抗争に発展した。
明和4年(1767年)に死去し、忠休の次男・忠崇が家督を継いだ。これに対し、忠起の長男・忠夷の子の忠恕には給米3000俵が与えられ、別家を立てた。