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酒井忠寄

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酒井 忠寄(さかい ただより)は、江戸時代中期の出羽庄内藩の第5代藩主。酒井佐衛門尉家第11代当主。老中。官位は従四位下、摂津守、左衛門尉、侍従。正室は前田綱紀の養女(浅野吉長の娘)。

概要 凡例酒井忠寄, 時代 ...
 
酒井忠寄
時代 江戸時代中期
生誕 宝永元年8月11日(1704年9月9日)
死没 明和3年3月30日(1766年5月8日)[1]
墓所 山形県鶴岡市
官位 従四位下、摂津守、左衛門尉、侍従
幕府 江戸幕府老中
主君 徳川吉宗→家重→家治
藩 出羽庄内藩第5代藩主
氏族 左衛門尉酒井家第7代当主
父母 父:酒井忠予、養父:酒井忠真
兄弟 忠英、忠寄、妹(遠藤胤親正室)
妻 正室: 蝶姫(前田綱紀の養女、浅野吉長の娘)
子 忠温、植村寿朝、本多康伴、本多忠久、本庄資尹、娘(松平忠刻正室)
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生涯

出羽庄内藩支藩の松山藩主・酒井忠予の次男。本家の酒井忠真の子が早世し、嗣子がなかったため養子入りし、第4代藩主・忠真の養嗣子となる。庄内藩は蝦夷警備と東北の外様大藩警守が任務で、通常幕府の役職に就かないならいであったが、忠寄は寛延2年(1749年)、46歳のとき老中に抜擢された。老中在任中、宝暦騒動(郡上一揆)始末の担当となり裁判を担当している。

明和3年(1766年)、死去。家督は長男の忠温が継いだ。

経歴

系譜

脚注

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