オランダ語の解剖学書『ターヘル・アナトミア』からの邦訳書である『解体新書』は、日本の医学史上画期的な本であった。だが、初めての西洋語からの翻訳という性質上、誤訳も多かった。
その後蘭学が発展し、蘭語(オランダ語)研究が進んだこともあって、杉田玄白は高弟の大槻玄沢に『解体新書』を訳し直すように命じる。
『重訂解体新書』図版の表紙には「天真楼翻刻」「芝蘭堂再鐫」とある。「翻刻」も「再鐫(さいせん)」も「ふたたび彫る」という意味であり、天真楼、芝蘭堂はそれぞれ杉田玄白、大槻玄沢が開いた蘭学塾である。
寛政10年(1798年)にいちおうの稿は出来たが、その後も更新は続き、刊行は、文政9年(1826年)となった。玄沢による「附言」の末尾には寛政十年と執筆年が記されているが、寛政十年は「附言」の最初の原稿が書かれた年であり、出版された「附言」は後に書き改めたものである [1]。
刊行時、杉田玄白は既に亡く、大槻玄沢はその翌年没している。