ターヘル・アナトミア
『解体新書』の最も重要な底本
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『ターヘル・アナトミア』は、杉田玄白、前野良沢らが翻訳して出版した『解体新書』の最も重要な底本として有名な解剖学教科書の日本国内での通称である。

おおもとは、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスによりドイツ語で書かれた解剖学教科書 Anatomische Tabellen(アナトーミッシェ・タベレン)であり、1722年にダンツィヒで初版が出版され、1732年に再版された。その後ラテン語、フランス語、オランダ語に訳された。オランダ語版である Ontleedkundige Tafelen[1][2](オントレートクンディヘ・ターフェレン)は、オランダ人医師ヘラルト・ディクテン(Gerard Dicten 1696年? - 1770年)が翻訳し1734年にアムステルダムで出版された。
1722年から1814年までに23版が確認されており、その内訳はドイツ語版が14、ラテン語版が7、フランス語版が1、オランダ語版が1である[3][4][注釈 1]。Sachsによると、この本は「18世紀の最も出版された解剖学教科書のひとつ」である[注釈 2]。なお、オランダ語版はすべて1734年刊と印刷されているが、図の細部等が異なる4種類の本が日本にあることが確認されており、厳密には複数の版が刷られたとされる[5]。
日本国内での通称が「ターヘル・アナトミア」となった由来については、#日本国内での通称についてを参照。
ドイツ語版
ドイツ語版の Anatomische Tabellen(アナトーミッシェ・タベレン)はこの解剖学教科書のおおもとであり、その初版は、まぎれもなくクルムス自身による版である。
初版が1722年にダンツィヒで出版され、1732年に再版された。
1732年のアムステルダム版(第3版)は、本文 193頁 + 銅版図版 28葉(折り込み含む)で構成されている。
ドイツ語版の “7. Auflage”(第7版)は、1764年にアウグスブルクで出版された。
章構成
章の構成(目次)は版を重ねるにつれ若干変化するが、参考までに挙げるとドイツ語版の1741年の版(第4版)の章立ては次のようになっている。「元のドイツ語の章名(和訳) - ページ番号」形式で示す。
- Von der Anatomie überhaupt pag (解剖学一般について) - 13
- Von den wesentlichen Theilen des Körpers (体の主要な部分について) - 17
- Von den Knochen und ihren Verbindungen über (骨とその連結について) - 22
- Haupt (頭部) - 23
- Von den Knochen ins besondere (個別の骨について)- 27
- Von dem Haupte u den äusserlichen Bedeckungen(頭部とその外被(皮膚・外層)について) - 45
- Von den Theilen des Mundes(口の各部分について) - 48
- Von dem Gehirne und den Nerven(脳と神経について) - 50
- Von den Augen(目について) - 56
- Von den Ohren(耳について) - 60
- Von der Nase(鼻について) - 61
- Von der Zunge(舌について) - 65
- Von dem Oberleibe(上腹部(胸腹部上部)について) - 68
- Von der Lunge(肺について) - 71
- Von dem Herzen(心臓について) - 74
- Von der grossen Pulsader(大動脈について) - 79
- Von der Pfortader(門脈について) - 90
- Von dem Unterleibe(下腹部について) - 90
- Von dem Schlunde Magen und den Gedarmen(咽頭・胃・腸について) - 95
- Von dem Gekrose und den Milchgefässen(腸間膜および乳管について) - 97
- Von der Gekrösedruse(腸間膜腺について) - 100
- Von der Milz(脾臓について) -101
- Von der Leber und Gallenblase(肝臓と胆嚢について) - 102
- Von den Nieren und der Harnblase(腎臓と膀胱について) - 104
- Von den Geburtsgliedern beyderleyGeschlechtes(男女の生殖器について) - 107
- Von der Geburt und den jungen Kindern(出産および乳児について)- 110
- Von den Muskeln oder Mäuslein(筋肉(小筋)について) -113
オランダ語版
日本への招来
日本へは少なくとも前野良沢と杉田玄白の所有した2冊が輸入されており、前野良沢は明和7年(1770年)長崎遊学の際に同書を入手している。
杉田玄白の同書入手の仲立ちになったのは、『解体新書』の翻訳メンバーでもある中川淳庵だった。明和8年(1771年)の春、中川淳庵は、江戸参府中の出島商館長(カピタン)を訪問する。そこで『ターヘル・アナトミア』および『カスパリュス・アナトミア(カスパル解体書)』を見せられ、「望む人がいれば譲る」と言われた。2冊を預かって、同じ小浜藩医で先輩であった杉田玄白のところへ持ってきた。玄白も大いに興味を持ったが、彼もまた個人では買えず、藩の家老に頼み込み、代金を出してもらってやっと入手できたという。なお玄白は『カスパリュス・アナトミア』もこのとき入手したらしく、『解体新書』に玄白所蔵の参考図書として出てくる。
同年3月4日、小塚原刑場での刑死者の腑分(ふわけ=解剖)を見るために杉田玄白、中川淳庵、前野良沢などが集まった。そのとき良沢は『ターヘル・アナトミア』を持参してきた。それは玄白が入手した物と同書同版であるとわかり、互いに手を打ち合ったという[6]。
その翌日より、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵によって、『解体新書』の翻訳作業が始まる。
『解体新書』との関係

『解体新書』は基本的に『ターヘル・アナトミア』の翻訳であるが、他にも数冊の洋書が参考にされており、杉田玄白による独自の注釈も付けられている。単純な翻訳ではなく、実用的な解剖学書として再構成された本だと言える。
原本にある注釈は『解体新書』では省かれ、本文だけが訳されている。
『解体新書』翻訳当時は日本に於けるオランダ語研究が十分ではなく、誤訳も多かった。当時、杉田玄白らは『ターヘル・アナトミア』がドイツ語からの翻訳書であることを理解しておらず、もともとオランダ語で書かれた本だと思っていた。
玄白も『解体新書』が誤訳だらけであることを心苦しく思ったらしく、弟子の大槻玄沢に訳し直させた。それが『重訂解体新書』である。同書は寛政10年(1798年)に杉田玄白に稿を見せているが、その後も更新が続き、文政9年(1826年)に刊行された[7]。
日本国内での通称について
原書のドイツ語題名は Anatomische Tabellen(アナトーミッシェ・タベレン)、オランダ語版の書名は Ontleedkundige Tafelen(オントレートクンディヘ・ターフェレン)であり、いずれも「ターヘル・アナトミア」とは異なる。ドイツ語やオランダ語の書名は、いずれも「解剖(学)図表」という意味である。
『解体新書』の凡例の中では『「ターヘル」が表、「アナトミイ」が解剖を意味している』と解説が添えられており、漢文の『解体新書』においても「打係縷亜那都米」と表記し「ターヘル・アナトミイ」とフリガナがふられた。また、杉田玄白が『蘭学事始』の中で繰り返し「ターヘル・アナトミア」と表記したため、これが日本国内で広まり、今日では日本の学術界でも「ターヘル・アナトミア」と言えばクルムスの解剖書(またはディクテンの翻訳書)を指すようになった。
「ターヘル・アナトミア」は、原書の扉絵として掲載されていた図に冠せられたラテン語 Tabulæ Anatomicæ(タブラェ・アナトミカェ)に由来するとみられる。これはドイツ語やオランダ語の書名と同様、「解剖(学)図表」という意味である。なぜ、オランダ語の書名ではなく扉絵の名称で呼んだのか、またそれをそのままラテン語読みするのではなくオランダ語風(和製オランダ語)に「ターヘル・アナトミア」と呼んだのかは、不明である。