野中古墳 (可児市)
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| 野中古墳 | |
|---|---|
|
残存墳丘 | |
| 所属 | 前波古墳群 |
| 所在地 | 岐阜県可児市中恵土1977ほか(字野中) |
| 位置 | 北緯35度25分49.40秒 東経137度4分1.30秒 / 北緯35.4303889度 東経137.0670278度座標: 北緯35度25分49.40秒 東経137度4分1.30秒 / 北緯35.4303889度 東経137.0670278度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長62m 高さ7m(後円部) |
| 埋葬施設 | 竪穴式石室2基 |
| 出土品 | 銅鏡、(伝)鉄刀・鉄剣 |
| 築造時期 | 4世紀中葉 |
| 史跡 | なし |
| 有形文化財 | 三角縁三神三獣鏡(可児市指定文化財) |
| 地図 | |
野中古墳(のなかこふん)は、岐阜県可児市中恵土(なかえど)にある古墳。形状は前方後円墳。前波古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。出土三角縁三神三獣鏡は可児市指定重要文化財に指定されている。
| 古墳名 | 墳丘 | 埋葬施設 | 築造時期 | 史跡指定 |
|---|---|---|---|---|
| 西寺山古墳 | 前方後方墳 | 竪穴式石室? | 4c中葉 | 可児市指定史跡 |
| 野中古墳 | 前方後円墳 | 竪穴式石室2基 | 4c中葉 | なし |
| 長塚古墳 | 前方後円墳 | 粘土槨・木棺直葬 | 4c後半 | 国の史跡 |
岐阜県南部、木曽川・可児川の間の標高100メートル前後の中位河岸段丘の南縁に築造された古墳である[1]。1891年(明治24年)・1944年(昭和19年)に石室が発見されているほか、現在までに墳丘は大きく破壊されて墳丘北西部の3分の1程度のみが残存し、1997・1998年(平成9・10年)に部分的な発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘は2段築成で、1段目は地山の削り出しにより、2段目は盛土によって構築される[1]。墳丘外表では川原石による葺石が認められるが、埴輪は認められない[2]。墳端の葺石基底石の外側の平坦面には、幅3メートルの帯状に小礫敷きが巡らされ、礫敷の基壇状施設を呈する[2]。また基壇状施設周囲には狭い周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は後円部における竪穴式石室(竪穴式石槨)2基で、1基からは三角縁神獣鏡が、他の1基からは刀剣8振が出土している。
築造時期は、古墳時代前期の4世紀中葉頃と推定され[1]、西寺山古墳に後続して長塚古墳に先行する時期の首長墓に位置づけられる。
出土三角縁三神三獣鏡は可児市指定重要文化財に指定されている。
遺跡歴
墳丘
埋葬施設
埋葬施設としては、後円部墳丘上において竪穴式石室(竪穴式石槨)2基が構築されている。
1基は、後円部中央に位置し、明治24年の濃尾地震の際に発見された。『可児町郷土史』によれば、割石積みで、内法長7尺(約2.1メートル)・幅2尺5寸(約0.75メートル)・高さ3尺5寸(1.06メートル)を測った。天井石は6枚。石室内は粘土床で、遺体は「朱粉」で包んだとみられる。石室内からは刀剣8振が出土したという[2]。
他の1基は、中央石室のやや西寄りに位置し、昭和19年の県道拡張工事に伴う土砂採取工事の際に発見された。『可児町郷土史』によれば、中央石室同様の割石積みで、天井石は7枚。石室内からは三角縁神獣鏡が出土している[2]。
出土品
文化財
可児市指定文化財
- 重要文化財(有形文化財)
- 三角縁三神三獣鏡 - 可児郷土歴史館保管。
関連施設
- 可児郷土歴史館(可児市久々利) - 野中古墳の出土鏡を展示。
