長塚古墳 (可児市)
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| 長塚古墳 | |
|---|---|
|
墳丘(左に前方部、右に後円部) | |
| 所属 | 前波古墳群 |
| 所在地 | 岐阜県可児市中恵土1990ほか(字野中) |
| 位置 | 北緯35度25分51.55秒 東経137度4分6.95秒 / 北緯35.4309861度 東経137.0685972度座標: 北緯35度25分51.55秒 東経137度4分6.95秒 / 北緯35.4309861度 東経137.0685972度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長72m 高さ6.9m(後円部) |
| 埋葬施設 |
後円部:粘土槨 前方部:木棺直葬 |
| 出土品 | 銅鏡・石釧・玉類・土師器 |
| 築造時期 | 4世紀後半 |
| 史跡 | 国の史跡「長塚古墳」 |
| 地図 | |
長塚古墳(ながつかこふん)は、岐阜県可児市中恵土(なかえど)にある古墳。形状は前方後円墳。前波古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
| 古墳名 | 墳丘 | 埋葬施設 | 築造時期 | 史跡指定 |
|---|---|---|---|---|
| 西寺山古墳 | 前方後方墳 | 竪穴式石室? | 4c中葉 | 可児市指定史跡 |
| 野中古墳 | 前方後円墳 | 竪穴式石室2基 | 4c中葉 | なし |
| 長塚古墳 | 前方後円墳 | 粘土槨・木棺直葬 | 4c後半 | 国の史跡 |
岐阜県南部、木曽川・可児川の間の標高100メートル前後の中位河岸段丘の南縁に築造された古墳である。1995-1997年度(平成7-9年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘は2段築成で、大部分は盛土により、墳丘裾部では地山を削り出して構築される[1]。墳丘長は72メートルを測り、可児市内の古墳では最大規模になる。墳丘外表では葺石・埴輪は確認されておらず、基壇や造出も認められていない。また墳丘周囲には盾形の浅い周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては約120メートルにおよぶ[1]。埋葬施設は、後円部における粘土槨と前方部における木棺直葬の各1基である。後円部粘土槨は未調査のため明らかでないが、前方部木棺からは副葬品として銅鏡・石釧・管玉・丸玉・小玉が出土している。
築造時期は、古墳時代前期の4世紀後半頃と推定される[2]。東美濃地方を代表する前方後円墳であり、一帯では西寺山古墳・野中古墳に後続する時期の首長墓に位置づけられる。
遺跡歴
墳丘
墳丘の規模は次の通り[1]。
- 古墳総長:東西約120メートル、南北約56メートル - 周溝を含めた全長。
- 墳丘長:72.0メートル
- 後円部
- 直径:38.4メートル
- 高さ:6.9メートル
- くびれ部
- 幅:18.5メートル
- 前方部
- 長さ:35.8メートル
- 幅:28.5メートル
- 高さ:4.7メートル
埋葬施設
埋葬施設としては、後円部上において粘土槨が、前方部上において木棺直葬が認められている。
後円部の粘土槨は、後円部中央に位置する。粘土槨を納める墓壙は、墳丘主軸に平行して羽子板形を呈し、長さ7.4メートル・幅最大2.0メートルを測る。前方部方向に開口し、開口部の底面には排水溝を設ける。通路部分は墓道や粘土槨構築作業路として機能したとみられ、埋葬後に石で閉塞するとともに埋め戻され、後円部頂への斜道が造成される。粘土槨は未調査のため明らかでないが、粘土表面には竪杵による無数の敲打痕跡が、粘土槨付近には柱穴が認められている。また墓壙埋土からは土師器(廻間III式新段階-松河戸I式古段階)が出土している[1]。
前方部の木棺は、前方部墳頂に位置する。木棺を納める墓壙は、墳丘主軸に平行する長方形を呈し、長さ7.2メートル・幅4.8メートル・深さ約1.3メートルを測る。木棺の断面形はU字形で、割竹形木棺か舟形木棺とみられ、木棺の復元規模は長さ4.9メートル・幅0.6メートルを測る。棺床部分では全面に赤色顔料が認められており、中心寄りの位置で銅鏡1面・石釧1点・管玉16個・丸玉35個・小玉578個が出土している[1]。
出土品
文化財
国の史跡
- 長塚古墳 - 1956年(昭和31年)5月15日指定、2003年(平成15年)8月27日に史跡範囲の追加指定[3]。
