野岩羽線鐵道敷設ノ件
本願ノ要旨ハ米澤市ヲ中心トスル南置賜、東置賜、西置賜ノ諸郡ヘ工産物、農產物、鑛物及木材ニ富ミ奥羽ノ寶庫ト称セラルルモ山間ニ介在シ鐵道ハ僅二奥羽線ノ一筋有スルノミ唯近ク長井輕便鐵道敷設セラレムトスルニ過キス若シ米澤ヨリ會津地方ヲ經テ栃木縣今市ニ達スル鐵道ヲ敷設セハ啻ニ奥羽富源ノ開發ニ資スヘキノミナラス岩代羽前羽後陸奥及北海道ヨリ東京方面ニ達スル道程數十哩ヲ短縮シ國防上重大ノ影響ヲ及スモノナリ依テ速ニ該鐵道ヲ敷設セラレムコトヲ請願スト謂フニ在り
—衆議院請願 165号(大正2年3月13日)[1]
江戸時代においては下野街道は会津藩・米沢藩はじめ奥州諸藩が参勤交代や物資輸送の際の短絡路として利用されただけでなく、日光と出羽三山を短絡する参詣の旅人などの往来がありいわば脇街道の側面があったことからの鉄道構想である。
しかし鉄道線としての計画は一体化したものでなく、改正鉄道敷設法別表に掲げる予定線のうち第26号の「山形県米沢ヨリ福島県喜多方ニ至ル鉄道」、第33号の「栃木県今市ヨリ高徳ヲ経テ福島県田島ニ至ル鉄道…(以下略)」と既存の幹線を補完する鉄道計画線に留まったことや、山地を縦断する計画路線のため難工事が予測されたこと、沿線に鉄道開発を促すための鉱山資源が存在しないことなどから工事は進まなかった。