野田 (入間市)
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歴史
もとは江戸期より存在した野田村、古くは南北朝期より見出せる野田であった[5]。地名の由来は当地を武蔵七党の丹党に所属する野田氏が開拓したことに由来する[5]。
- 知行ははじめは幕府領、正徳元年は川越藩領、幕末は上野前橋藩領[5]。
- 幕末時点では高麗郡野田村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、前橋藩が管轄する前橋藩領であった。寺社領(円照寺〈圓照寺〉領・長徳寺領)も存在した[6]。
- 1871年(明治4年)
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1次)と合併して熊谷県の管轄となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した高麗郡に所属する。また、築地新田を野田村に併合する[5]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、野田村、仏子村が合併し高麗郡元加治村が成立する[7]。野田村は元加治村の大字野田となる。村役場を大字野田に設置する。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 高麗郡が入間郡と統合し入間郡となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 飯能町、精明村、加治村、南高麗村と合併し入間郡飯能町を新設する[8][9]。飯能町の大字となる。
- 1950年(昭和25年) - 大字野田の一部を分割し、大字双柳の一部、水富村大字笹井の一部と併合して大字新光が成立する[10]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 旧村域の部分が東金子村に編入、同日町制施行し西武町の大字となる[8][11]。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 西武町の旧金子村の町域が入間郡武蔵町に編入される[8]。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 西武町が入間市に編入。入間市の大字となる[8]。
小字
- 八木
- 前八木
- 山王塚
- 笹井境
区画整理
- 地区内の区画整理は西武仏子ニュータウン地区を中心に行われ、換地処分や地番変更は行われたが住居表示実施までには至っていない。地番変更が行われた地区はおもに3000番台の番地が振り分けられている[12]。