金吾龍神社
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由緒
フゴッペ岬にある西崎山の尾根、小樽市と余市町の境に位置している[3]。古代から聖地とされ[誰?][4]、周辺には西崎山環状列石[5]などのストーンサークル、フゴッペ洞窟(壁画)、フゴッペ貝塚などがある。[1]。創建年は不明だが、境内から出土した祭祀用の縄文土器などの分析[誰によって?]から、約5000年以上前に祭祀が行われていたと考えられている[1]。
縄文時代初期の磐座信仰を起源とする。縄文時代中期、日本で最初のアラハバキ信仰が始まる。西崎山の尾根に西崎山環状列石が造られ、社伝にはこれが同社の淵源と記されている[注 3]。7世紀、阿倍比羅夫が古神道を伝える。13世紀にはアイヌによってチャシが築かれる[注 4]。15世紀には多数の和人が進出し、神仏習合のもとに祠堂が置かれ、「おおもとみや」「あらばきさま」などと呼ばれていた。
この祠堂は、16世紀に古神道宗家・大水口宿禰の後裔(69世)によって改築され[7]、「大元宮」と号された。明治時代に入ると、祠堂は廃仏毀釈のもとに破壊され、祭神の変更を余儀なくされたほか、古神道や宮司の世襲も禁止となった[注 5]。この際、宮司が御神体を持ち出し、難を逃れた。第二次世界大戦下においては神社への締めつけが厳しくなり、存続のためやむを得ず教派神道に属し[注 6]、内務省神社局の認証を受ける[注 7]。戦後、1954年に宗教法人として認証を受けるも[8]、乗っ取りによる宝物や古文書の滅失、災害や人口減少による氏子の減少などの理由から、再び存続の危機を迎える。
2013年、88世大水口宿禰が宮司に復帰、御祖尊と名乗る[9][10]。神託を理由として、代々木のマンションの一室に「東京分祀」を設け、のちに「東京本宮」となった。2019年、夏至の古代神事である「荒祭神事」が復活。2020年、「大元宮」を再興し、「御祖大元神宮」と号する[11]。
戦前は、北海道で随一の龍神神社とされ、本土から多くの参拝者が訪れた[要出典]。
社殿
フゴッペの伝承
余市出身のアイヌの歌人違星北斗が、古老ヌプルラン・イカシから聞いたこととして、余市にはかつてアイヌが「クルプンウンクル」と呼んだ先住民族がいたという話を紹介している。イカシによれば、アイヌの伝承にある小人「コロポックル」はこの転訛であるという。クルプンウンクルというのはアイヌ語で「石の下にいる人」というような意味で、石に親しみ、アイヌよりも小さく弱い人々であることからそう呼ばれたとされる。彼らはアイヌの進出により追い払われた[13][14]。
また、アイヌの伝承によれば、かつてフゴッペ岬の先端近くに、アイヌの3兄妹がチャシを築いて住んでいた。彼らは岬の下を通る人に向かって石を投げるので、忍路や余市のアイヌは頭を悩ませていた。あるとき、忍路のアイヌが通りかかると、チャシに向かってニシンの鱗が一筋の線を描いて落ちているのを見つけた。忍路と余市のアイヌはこの跡を辿ってチャシに攻め入り、兄妹を殺した。その後、そのチャシに住む者はいなかったという[15]。
