金沢大学 北溟寮
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| 北溟寮 | |
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| 情報 | |
| 用途 | 学生寄宿舎 |
| 建築主 | 金沢大学 |
| 管理運営 | 北溟寮自治会 |
| 建築面積 | 1,744 m² |
| 延床面積 | 5,671 m² |
| 階数 | 鉄筋コンクリート4階建 |
| 戸数 | 198室(洋室1部屋2名) |
| 着工 | 1966年9月 |
| 竣工 | 1968年3月20日 |
| 所在地 | 石川県金沢市弥生1丁目 |
| 座標 | 北緯36度32分55.5秒 東経136度38分50.4秒 / 北緯36.548750度 東経136.647333度座標: 北緯36度32分55.5秒 東経136度38分50.4秒 / 北緯36.548750度 東経136.647333度 |
金沢大学 北溟寮(かなざわだいがく ほくめいりょう)とは、かつて金沢市弥生に存在した金沢大学の学生寮(自治寮)。1951年に石川師範学校弥生寮を引き継ぎ、金沢大学憬真寮を合併して発足した[2]。一時期は日本海側最大の自治寮であると言われたが、2017年3月に66年に渡る役目を終え、閉寮した[3]。同年4月に新設された学生留学生宿舎「北溟」に名前のみ受け継がれている(自治寮であった北溟寮とは直接の関係はない)。
建物
歴史
- 1949年(昭和24年) 5月31日新制大学として金沢大学が正式に設置される。
- 1951年(昭和26年) 石川師範学校弥生寮を引き継ぎ、金沢大学憬真寮を合併して発足する。
- 1963年(昭和38年) 学生寮の改築がはじまる[6]。
- 1966年(昭和41年) 9月寮改築の第1期工事に着工。
- 1967年(昭和42年) 3月第1期工事完成。
- 1968年(昭和43年) 3月20日第2期工事完成。これにより金沢大学北斗寮を合併し、金沢大学の寮は北溟・泉学・白梅(女子寮)の三寮体制となる。
- 2017年(平成29年) 閉寮する。金沢大学資料館で「バンカラ寮生類~金大寮史124年~」 が開催される(11月~翌年3月)[7]。
- 2020年(令和2年) 跡地に記念碑が設置される[8]。

寮生の生活
自治
概要
- 大学から自治が認められた自治寮だった。
- 入寮者の選考権など、自治の範囲は大学との関係によって時代時代によって変わっていた。
運営
- 1986年5月より順次施行された金沢大学北溟寮寮規約(86年規約)は、存在すら忘れ去れていた従来の規約が現況に適合したかたちに再度明文化され、運営慣習が整備された。
- 86年規約によれば、寮には以下のような機構がつくられた。
- 寮長、副寮長、書記長(寮三役と呼ばれる)は全寮的な直接投票で選出された。
- 寮運営のための様々な役割が複数の部局として分担された(賄部、会計部、総務部など)。
- 寮三役と各部局長とで執行部が構成された。
- 寮の居住エリアごとに21のブロックがつくられ、各ブロックから代表者を送り出す代議員会があった。
- 全寮生に参加の義務と権利が付与された寮生大会が最高の決定機関とされた。
行事・伝統
行事
- 4月 新入生歓迎祭(新歓祭)
- 7月 七夕ストーム
- 11月 寮祭
- 1月 成人式
- 2月 卒寮生追い出しコンパ(追いコン)
寮歌
歌われたのは主に下の6曲である[2]。
- 1. 金沢大学校歌
- 室生犀星作詞・信時潔作曲、1959〈昭和34〉年
- 2. 四高寮歌(大正四年時習寮南寮寮歌「北の都に秋たけて」)
- 駒井重次作詞・岡本新一作曲、1915〈大正4〉年
- 3. 南下軍の歌
- 高橋武済作詞・簗瀬成一作曲、1907〈明治40〉年
- 4. 人を戀ふる歌
- 与謝野鉄幹作詞・作曲不詳、1897〈明治30〉年
- 5. 北溟寮寮歌
- 端名(はな)清作詞・佐々木宜男作曲、1953〈昭和28〉年
- 6. 五誓寮逍遙歌
- 杉山直弘作詞補作・西田重治作曲、制作年不詳、推定戦後初期
- 寮歌を大人数で歌う風習は、明治期から旧制高等教育機関の若者文化として花開き、戦後は一部を除き廃れていく傾向にあった。北溟寮では、戦後において単なる伝統の継承に止まらず、生活を彩る生きる文化として半世紀以上にわたり寮歌が歌い継がれた。
- 旧制高校時代からの伝統として、歌い始めの「1,2,3」の合図は、ドイツ語で「アインス、ツバイ、ドライ(Eins, zwei, drei)」と掛け声された。
- 三度の飯よりも寮歌を歌うのが好き、という者が珍しくなかった。
- 若者が力の限り声を張り上げるため、百人以上が室内で歌うと窓ガラスが振動してビリビリと音を立てる程の音量になった。
- 歌唱法は時代によって変遷している[2]。もともと楽譜によらず口伝の伝承法であるためだった。声を引き延ばす長嘯の歌唱法の時代(1980年代~)では、1曲を歌い終わるのに10分から20分以上かかり、上述の6曲すべてを歌うのに1時間半以上かかった。
- 2004年度から、新入寮生の歓迎時期には上記の1.金沢大学校歌と5.北溟寮寮歌のみが伝えられることになった[15]。
- 金沢の歓楽街から2キロ程ある寮まで帰る際、酔いに任せて寮歌を歌いながら歩くため、近隣住民には迷惑だったという。
出身者
- 藤村延魚 国際観光ジャーナリスト(1958年入寮、文学部哲学科(人間学科)卒業)、記念碑の揮毫者。
- 和田健夫 法学者(1969年入寮、大学院法学研究科修士課程修了)、第10代小樽商科大学学長
- 谷畑英吾 政治家(1985年入寮、法学部法学科卒業)、元滋賀県湖南市長(4期)、元甲西町長(1期)。
- 團野光晴 石川工業高等専門学校教授(1986年入寮、文学部卒業(同大学院文学研究科修了)、近代文学研究者)、北溟寮に関する研究論文などあり。
展覧会
金沢大学資料館で2017年11月~翌年3月まで企画展「バンカラ寮生類~金大寮史124年~」 が開催された。廃寮となった北溟寮と金沢大学の前身の第四高等学校 (旧制)時代に存在していた「時習寮(じしゅうりょう)」と「三々塾(さんさんじゅく)」の3つの寮が取り上げられ、その遺物などが展示、公開された。


